江戸幕府は、繰り返し交際開始を求める諸外国の要求に対処するため、西周助と津田真一郎らをオランダに留学させ国際法の研究を命じた。明治政府は、日露戦争の戦場に国際法学者を派遣し、帰国後、日本が国際法に則って戦争を遂行した事実をフランス語で出版させた。これを読んだヨーロッパのキリスト教国が、日本を「東洋の君子国」として賞賛したことは周知のとおりである。江戸幕府も明治政府も、外交や安全保障の問題は、国際法に則ってアピールする重要性を熟知していたからである。
東シナ海の無人島である尖閣諸島の周辺海域で、日本の巡視船と中国漁船の衝突事件が発生した。巡視船は、日本領海における操業の容疑で中国漁船を拿捕した。これに対し中国は、さまざまな外交手段や国内措置で執拗な抗議を繰り返した。民主党政府は、当初、「粛々と国内法に従って対処する」と言明したが、拿捕した漁船と乗組員のみならず、起訴相当と考えられた船長も処分保留のまま釈放した。民主党政府の解決策は、中国の抗議に全面的に屈した収束策である印象を与え、はからずも国民の愛国心を刺激した。
国際法は、国際社会における諸国の国益を予め調整する必要性から発達してきた。国家主権に係わる国際紛争の平和的解決は、国際法に基づいた策を駆使して国益を確保する必要がある。今般の事件の舞台となった尖閣諸島は、明治政府が海軍に調査させた結果無主地であると判断し、領土編入措置をとった無人島である。明治政府は、先占行為という国際法上の領有権原に基づいて尖閣諸島を日本領としたのであった。
中国は、領有措置(1895年)、対日平和条約の発効(1952年)、沖縄返還時(1972年)の際にも、尖閣諸島に対する領有権を主張しなかったが、その後、東シナ海に背斜構造がありペルシャ湾に匹敵する石油が埋蔵される可能性が指摘されるや否や、にわかに台湾の付属諸島であるとの主張を始めた。中国は、尖閣諸島は無主地ではなく古くから中国領であり、したがって日本の先占行為は国際法上無効であるとして領有権を主張したが、その主張の根拠とした古文書は、国際法上の証拠能力が不明確なものであった。
日中国交回復後、自民党の園田外相とケ小平会談(1978年)で尖閣諸島の領有権問題棚上げに合意したが、これは尖閣諸島の領有権原が曖昧であることを実質的に認めたに等しい。筆者が十数年前に出席した中国海洋法学会で明確になったことは、日中間の排他的経済水域と大陸棚の境界線を一致させる国家戦略に従って、国際法学者の研究を奨励していたことであった。中国は領海法(1992)で尖閣諸島を領土と明記し、台湾は1999年に尖閣諸島を領海の基線としたが、日本による強硬な抗議はなかった。自民党政府の国家戦略なき対応は、中国をして尖閣諸島領有の意思を確たるものとさせた。 尖閣諸島に対する自民党政府の曖昧な態度の下で、中国は、国家戦略に基づく周到な準備の下に着々と領有措置をとりはじめたのである。国際法上の領有根拠に乏しい中国は、国内法上の措置に加えて、尖閣諸島の実効的支配に着手したと思われる。領土は、一度上陸されたら外交で取り戻すことができないのは、北方4島や竹島の事例を見ても明らかである。この意味で、民主党政府が中国漁船を拿捕したことは、尖閣諸島周辺で断固たる国内法上の措置をとったことであり、高く評価されるべきことであった。
民主党政府が「国内法に従って」対処する決心は当然であったが、国内法で自国領土としている中国も、同様に、自国領海における主権を行使の権利が主張できる。このような主張の是非を判定するのは国際法である。温家宝首相は、国際法上の根拠が乏しいことを理解していたため、国連の場で中国による実効的支配を堂々とアピールした。同じく国連に在った菅首相は、国内法に言及するだけで国際法上の権原を主張せず、中国の横暴さをアピールする好機を逸し、国民の期待を裏切った。はからずも、民主党政府の外交や安全保障に対する感覚の欠如が再び露呈した。
領土の領有権を巡る紛争の場合、国際法に基づいた権原の主張だけでなく、恒常的な国際世論へのアピールを忘れてはならない。民主党政府が、国際法の存在を忘れていたとは思えない。今般の尖閣諸島事案は、日本が国家戦略に基づいて必要な行動をとってこなかった結果である。この事件を政党間の争いに矮小化することは、国民の望むところではないであろう。中国は、機をみて実効的支配のために尖閣諸島に上陸する可能性があると思われるが、民主党政府は、これを粛々と阻止しなければならない。国家の主権を維持確保するためには、断固たる強い意志が必要なのである。 |