第三次安倍内閣誕生
―多弱野党結集、力なく―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 テレビ朝日の古館伊知郎キャスターが安倍首相に「投票率が5割そこそこだったのは与党の責任ではないのか」と詰問口調で聞いているのには驚いた。NHKの番組で民主党の岡田克也氏は「投票率の低さは安倍氏の選挙を狙ったトリックにひっかかった」という趣旨を述べたのにも驚いた。投票率が低かったのは、自民党に代わって選択すべき政党が見当たらなかったからに決まっているではないか。何でも与党のせいにしているようでは一大野党結成は不可能になる。
 小選挙区制度を主体にした選挙制度は必ず二大政党制を作りだす。第8次選挙制度審議会が1994年に小選挙区主体の制度を答申した当時の議員の大半、審議会委員の全員の思いは中選挙区制度を廃止しなければ、“金権政治”は終らないという悲壮なものだった。
 96年に第1回の小選挙区制度が行われて今回まで7回。一度、自民、民主という二大政党制ができたと思ったが、民主党の未熟ゆえに政権は倒れた。倒れると共に1強多弱体制が誕生したのだが、この多弱はいずれ再び相当の大政党にまとまってくるはずだ。
 今回の選挙のように民主と維新が選挙区を譲り合って調整する形は、それが何回もの慣習になったとしても、連立内閣はできまい。社会保障制度で対立しても所詮はお金の話であり、辻褄を合わせることは困難ではない。政党の芯棒は何といっても外交・安全保障問題だろう。鳩山由紀夫内閣が破綻したのも対中接近の結果、同盟国の米国に見放されたからだ。この点、海江田万里前代表の考え方は敵と味方を割り切れていなかった。
 民主と合併する有力な相手は維新だが、維新は安全保障問題では自民に近いだろう。旧社民党から民主に移籍した辻本清美氏と住み分けを提案された橋下徹共同代表(大阪市長)は「あの人とは話をしない」とにべもなく調整を断った。今回民主党に移籍し、重複比例で救われた阿部知子氏は旧社民党のイデオローグである。
 民主党の六人衆が江田代表の就任時から江田に反対していたのは、江田氏のイデオロギーが不分明。旧社民党的発想をする人ではないかと常に疑われていたからだ。
 江田執行部が幹事長に抜擢したのは枝野幸男氏だが、枝野氏はかねてJR東総連の過激派・革マル系に支持されていることで有名だ。この人を野田佳彦氏のような人物が抱えているなら、傍目には安心だが、過激派が要を握るなら、維新との合併は不可能だろう。
 一年経てば橋下氏の市長任期が終わる。橋下氏は自民党に代わる政権政党作りにかかわってくるだろうが、今回の選挙結果を見れば、国民がまだ維新の党に期待をつないでいることが見てとれる。
 安倍政権はあと4年は続くだろう。民主、維新にはこの間に自民党に対峙できる政党を育てる時間がある。成否のコツは、幹部が安全保障問題で一致できるかどうかだ。



(平成26年12月17日付静岡新聞『論壇』より転載)

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