澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -43-
習近平訪英は成功だったのか?
政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 2015年9月下旬、習近平国家主席が訪米した。習主席は、最初の訪問地であるシアトルで、米ビジネス界、特にIT産業界から歓迎を受けた。だが、習主席はワシントンで冷遇されたのである。訪問日程もローマ法王フランシスコの訪米と重なったため、習訪米は霞んでしまった。
 オバマ米大統領は、習主席に対し、中国軍の米国企業へのサイバー攻撃や東シナ海や南シナ海での膨張(具体的には、同海での人工島造成・滑走路建設等)に釘を刺している。
 習近平主席は、韓国の朴槿恵大統領や安倍晋三首相が行った米議会での演説を望んだが、叶わなかった。他方、習近平が乗った車の車列に中国からやって来た陳情者が飛び出し、あわや車が彼女を轢きそうになっている。
 全体的に、習訪米は“失敗”だったと言っても過言ではない。
 翌10月19日、捲土重来とばかり、習近平主席は訪英に臨んだ。習近平主席はファースレディの彭麗媛と共にロンドン・ヒースロー空港に降り立っている。習近平夫妻は英国で“大歓迎”を受けるはずだった。ところが、実際は、日本マスディアが伝えた“異例の厚遇”報道とは様相が異なる。
 第1に、フィリップ・モハンド英外相は、同空港公共トイレの前に屏風を立てた「臨時会見場」で、習主席と会談した。面妖である。英国側が意図的にそうしたのか、それとも単なるハプニングだったのかはわからない。
 第2に、習近平夫妻は、イギリスのロイヤルファミリーに盛大に迎えられた。けれども、仔細に見ると、エリザベス女王は習近平主席と握手する際、黒い手袋をはずさなかった。以前、女王は今上天皇には手袋をはずして握手をしている。女王にとって、習主席は“格下”だったのだろう。
 第3に、習近平主席は、念願が叶い、英上下院で演説を行った。今年は1215年にマグナ・カルタ(イングランド国王が自らの権限を制限する憲章。国民の権利や自由が保障される典拠)が制定されて、ちょうど800年目に当たる。
 その演説の中で、習主席は、戦前・戦中の「日本軍による中国への侵略」を強調した。ただし、11分間の演説で、議会から一度も拍手が起きていない。終了の際の拍手さえなかったのである。異様な雰囲気だったに違いない。
 第4に、その晩、英国王室によるバッキンガム宮殿で公式晩餐会が催されたが、チャールズ皇太子は出席しなかった。皇太子はチベットのダライ・ラマ法王と親しく、欠席は共産党の少数民族への弾圧や人権問題軽視に対する抗議と見られる。
 第5に、習近平主席は晩餐会でも演説したが、相変わらず戦前・戦中の「日本の残虐性」について言及している。だが、演説の最中、隣席のアンドリュー王子(チャールズ皇太子の弟)が居眠りをしていた。誠に、印象的な光景である。
 第6に、エリザベス女王は、同晩餐会で「1997年に香港を返還する際に行った香港自治を保障するという約束を守ってほしい」と述べ、習主席に注文をつけた。
 第7に、習夫妻は、バッキンガム宮殿への宿泊を許された。だが、その周辺では、人権団体がプラカードを掲げ、共産党によるチベット族弾圧や中国人権派弁護士への逮捕・拘束を非難していた。
 
 周知の如く、英国王室と日本の皇室は親しい関係柄にある。エリザベス女王らロイヤルファミリーは、日本を悪しざまに言う習近平主席に決して良い印象を持たなかっただろう。
 ちなみに、習主席が訪英した19日当日、ウィリアム王子は中国のテレビ局へのビデオメッセージ送っている。王子は野生動物保護の観点から、中国人による象牙の不買を呼びかけた。

 さて、米国から袖にされた中国は、英国を「一帯一路」(海と陸の新シルクロード構想)の終点として、関係強化に努めようとしている。
 今年、中国がアジア・インフラ投資銀行(AIIB)を創設する際、3月中旬、EU内では、英国が真っ先に同銀行へ参加すると表明した。そのため、ドイツ、フランス、イタリア等も追随した経緯がある。
 キャメロン政権としては、英中「黄金時代」を築き、経済的メリットを得たいとの思惑があるだろう。結局、英国は、中国からの原発輸出を含む7兆円の商談に合意した。
 今や、現在のイギリスはかつての大英帝国の面影はない。そして、新興国の中国に対しプライドもかなぐり捨て、ひざまずいているように見える。けれども、英国は実にしたたかである。中国といえども一筋縄ではいかない。
 習近平訪英は、英国一流の“ブラック・ジョーク”の連発により、必ずしも楽しい旅ではなかったのではないか。


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