澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -426-
「新型肺炎」の実情を暴露した『騰訊新聞』

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 中国には『騰訊新聞』(大手SNSのテンセント)というメディアがある。最近、この『騰訊新聞』のサイトに、中国当局の「新型肺炎」(以下「武漢肺炎」)感染者・死亡者の公式数字とは異なる大きな数字が2度現れた。そして、すぐに2度とも訂正されている。
 1度目は、今年1月26日13時42分だった。その際、『騰訊新聞』は、全国感染者数を1万5701人、死亡者2577人と報道した。ところが、翌27日19時01分には、感染者数2840人、死亡者数81人と訂正したのである。
 2度目は、2月1日23時39分である。『騰訊新聞』は、全国感染者数15万4023人、死亡者数2万4589人と報道した。だが、翌2日16時03分には、やはり感染者数を1万4446人、死亡者数を304人と訂正している。『騰訊新聞』と中国政府の間に、少なからず軋轢が生じたと思われる。
 周知の如く、中国当局が発表する感染者数・死亡者数には、疑念が生じている。
 一例を挙げてみよう。この度、日本政府はチャーター機合計3便を武漢市へ派遣した。そして、武漢市在住の邦人565人を帰国させている。厚生労働省の調べでは、チャーター機に乗っていた感染者は、症状の出ていない人も含め計8人である。すると、その感染率は1.416%となるだろう。
 ところが、武漢市(人口1100万人。春節前後に同市を脱出した500万人を差し引くと残り約600万人)の感染者数(1月31日現在)は3215人で、感染率が0.054%とかなり低い数字に抑えられている。
 仮に、チャーター機で帰国した日本人の感染率を武漢市に当てはめると、8万4960人となる。武漢市での医療現場の窮状を見ると、当局の発表より多くの感染者がいる公算が大きい。したがって『騰訊新聞』の初めに発表した2度の数字の方が、実情に近いのかもしれない。
 しかし、なぜ『騰訊新聞』が、中央政府の意向を無視し、2回にわたり実態に近い数字を暴露したのだろうか。反骨のジャーナリスト魂がそうさせたのか。確かに、その勇気は称賛に値する。だが、事実(もしくは事実に近い)を暴露した『騰訊新聞』は、北京政府に処分される可能性が高い。
 処分と言っても、中国では職場をクビにされるくらいならば、まだマシな方である。場合によっては、当局に殺害されるか、精神病院送りになるだろう。
 例えば、2018年7月、董瑶琼(29歳の女性)は上海で「独裁制反対」を唱え、習近平主席の写真に墨をかけた。そのため、彼女は、精神病院送りになっている。今年1月、董は精神病院から自宅に戻ったが、別人のようになってしまったという。今回、武漢市の実情を暴露した『騰訊新聞』関係者の無事を祈るばかりである。
 話は変わるが、中国外務省報道官、華春瑩がすでに今年1月3日、北京政府は米国に対し「武漢肺炎」に関する通知を30回も行っていた事を明らかにした(ちなみに、昨年12月8日、中国当局はすでに「武漢肺炎」の発症した事実を知っていたという)。
 けれども、同月23日に武漢市が突如「封鎖」されるまで、市民は「武漢肺炎」について、ほとんど何も知らされていなかったのである。
 翌24日、中国中央電視台(CCTV)による恒例の春節聯歓晩会(中国版「紅白歌合戦」。大晦日20時から元旦にかけて行う年越し番組)では、「頑張れ、武漢!」「頑張れ、中国!」という演出があった。
 本来、中国共産党は、春節聯歓晩会をのんきにやっている場合ではなかったのではないか。習近平政権は、武漢市民を完全に軽んじていたのである。
 このような状況下、今年2月2日、一部の武漢人がネット上で、「武漢臨時政府」成立を宣言した(辛亥革命の武昌蜂起を彷彿させる)。そして、民権を奪還すべく「武漢市独立」、「湖北省独立」を謳った。ただし、この動きがどれほど現政府に影響を及ぼすのか、現時点では不明である。
 翌3日、中国共産党中央政治局常務委員会は「武漢肺炎」に関する会議を開催した。そこで、習近平主席は「党中央を代表して、患者とその家族に心から哀悼の意を表する」と語った。また、習主席は、「湖北省、特に武漢市は、依然、全国的な『新型肺炎』の大流行をコントロールするための最重要地域である」と指摘している。
 おそらく湖北省、とりわけ武漢市は、収拾がつかないほど大混乱に陥っているのではないか。
 現在、中国では経済が停滞している。その上、今度は「武漢肺炎」が国内で蔓延した。そのため、人やモノの移動が厳しく制限されている。これでは、消費に陰りが出る事は避けられない。また、国内での生産もしばらくストップするだろう。中国経済の更なる失速が懸念される。
 この八方塞がりの中、近い将来、習近平政権は大きな危機に直面するのではないだろうか。