「パキスタンで見た『一帯一路』」

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特別研究員・東京福祉大学留学生教育センター特任教授 近藤高史

 中国の「一帯一路」構想が提唱されて6年近くが経とうとしている。この構想は言うまでもなく広範な地域を含んでいる。「一帯一路」と聞くと、まず想起されるのが中国による海外での大型プロジェクト支援である。一帯一路構想によって整備中・整備済みのインフラストラクチャーは、港湾、空港、ダム、発電所、道路と多岐に及ぶ。その一方、「中国の援助で実施された大型プロジェクトが現地の人々の役に立っていない」とか、「被援助国を『債務の罠』に陥れ、その結果整備されたインフラストラクチャーの長期使用権が中国の手に渡っている」といった批判もあるのは周知の通りである。
 筆者が主に研究しているパキスタンも一帯一路構想に入っている。それだけではなく中国とパキスタンの間にはCPEC(China-Pakistan Economic Corridor,中パ経済回廊)という構想が、一帯一路より早い2013年から動いている。これは中国西部を外洋に出る港と結びつける狙いがあり、具体的には中国の新疆ウイグル自治区からカラコルム・ハイウェイを通ってパキスタン国内に入り、南下してアラビア海に至るルートを確保しようとしているものである。そのアラビア海沿岸の終点に位置付けられているのはパキスタンのバローチスターン州内のグワーダルという町である。グワーダルは以前は小さな町であり、漁村の佇まいすら残していた。しかし今世紀初頭からここの海底を浚渫して深港を建設し、大型貨物船も停泊できる港湾都市として開発しようという計画が持ち上がり、急速に注目を集めるようになった。そして、当初から援助国として中国の名が挙がるようになっていた。つまり、中国はグワーダルに一帯一路やCPECを唱えるずっと以前から目を向けていたのである。また、中パ両国を結ぶカラコルム・ハイウェイを両国が共同で完成させたのはさらに前の1978年であり、両国による共同プロジェクトの歴史は一帯一路よりはるかに長い。
 グワーダル港は2016年に開港した。未だ整備途上とはいえ、グワーダルはもはや以前の姿ではない。この港が注目されるのは戦略的な要地になる可能性があるためである。すなわち、グワーダルは中東で産出された石油の重要な輸送ルートであるペルシャ湾に近い。そして、米国からすればイランとの外交関係が断絶しているために、イラン国内のチャーバーハル港やバンダレ・アッバース港は使えない。それだけ、パキスタン領内にあるグワーダルが使用できればそこには大きな意義が見い出せるのである。また、パキスタンの隣国インドにも、この地を中国が軍事利用する可能性を懸念している(中国はそれを否定しているが)。
 注目を集めつつあるグワーダルであるが、筆者がパキスタンに住んでいた2000年代前半、グワーダル開発の積極的な援助国として聞こえてくるのは中国ばかりであった。その理由はおそらく、この地の開発の可能性に対し、多くの国が半信半疑だったからだと考えられる。当時、グワーダルへの国内交通は最大都市カラーチーから週に僅か数回の航空便に乗るか、カラーチーから海岸沿いを一昼夜かけて車に揺られていくしかなかった。グワーダルの空港は非常に小さく、カラーチーからの道路も低規格であった。水や電気の供給はもちろん不十分で、このように不便な場所の発展を想像できなかったのかもしれない。実際、パキスタン国内のマス・メディアにもグワーダル開発の実現性を相当に疑問視する声があった。また、(無償資金援助は別として)借款レベルの援助を開始するにしてもパキスタンの債務支払い能力を当時の国際社会は疑問視していた。そうした国際社会の手控えムードの間隙をついて、中国政府は対パ支援を進めていったのである。
 このグワーダル港も、2059年まで中国への貸与が認められるに至っている。長期間の使用が認められたことで、パキスタンには「中国に港を奪われる」と懸念する声もある。また、中国政府は海外でインフラ整備を行う時、中国国内から労働者を派遣するため、現地の人々の雇用を生まず、パキスタンでも現地の人々の反発を度々招いた。実際に昨年にはバローチスターンの分離独立を求める武装組織が中国人技術者の多く宿泊するグワーダルのホテルを襲撃する事件が起きた。ただ、こうした対中批判の声はパキスタン政治を動かすほど大きくならず、むしろ中国のプレゼンスはパキスタンで大きくなっている感がある。例えばインダス川に建設されるダッソー・ダムが2018年に、ディアーミル・バーシャー・ダムの工事が今年、それぞれ中国との共同事業とされた。国土の大半が乾燥帯に属するパキスタンにおいて水資源開発は重要な課題だが、そこにも中国の援助の手が伸びてきている。そしていずれのプロジェクトの開発資材も、カラコルム・ハイウェイを使って運搬されている。
 同じ南アジアに位置するスリランカのハンバントタ港に、中国による「99年」という長期運用が認められたことは有名である。こうした「債務の罠」の指摘をパキスタン政府としても聞き流しているわけではない。しかし、それでも中国からの支援を受け続ける背景には、支援が得やすいという理由の他に、パキスタン固有の政治的事情があるだろう。パキスタンはインドとの間に領土紛争を抱えている。ディアーミル・バーシャー・ダム周辺はパキスタンの実効支配が続くものの、国連の場ではインドとの係争地域とされている。ダム建設でパキスタンは係争地域の支配の既成事実化を進めることができる。グワーダルの属するバローチスターン州には昔から分離独立を目指す動きがあり、パキスタンはこの地域の開発を進め、国内の他の地域との経済的紐帯を強化できるメリットがある。多民族国家であるパキスタンの国民統合の課題は、変転の著しいパキスタン政治の中で変わらない部分なのである。そもそも、中国自体がインドとの領土問題を抱えており、中パ両国は「共通のライバル」を前に関係を深めてきた。
 さて、コロナ禍は今年3月中旬からパキスタンでも拡大し始めた。コロナの影響で既述の大型プロジェクトはいずれも進展に遅れが生じた。しかし、中国はマスクや人工呼吸器の提供を素早く行い、さらに時を同じくしてパキスタンに大挙飛来したサバクトビバッタへの対策として殺虫剤や噴霧器の提供にも乗り出し、かえって対パ援助は強まっている。中国政府の側にパキスタンでの対策の遅れはやがて自国に及ぶという認識があるのは間違いない。
 中国の対パ支援は確かに目立つ。しかし「一帯一路」の他の国とは違い、両国の戦略的な関係の歴史は長く、アド・ホックな関係でもない。また、パキスタンが中国から経済支援を受け続けることについて、他国が「債務の罠」を警告してもそれだけではパキスタンの姿勢は変わらないだろう。これまでもそうだったように、パキスタンとしては中国からも粘り強く債務繰り延べを引き出す外交を続けていくと思われる。
 
パキスタン概略図