中国の千人計画とは、日本の対応策は

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政策提言委員・元公安調査庁金沢公安調査事務所長 藤谷昌敏

 2020年7月、米国南部テキサス州ヒューストンに所在する中国総領事館が閉鎖された。米連邦捜査局(FBI)のレイ長官は、7月7日のハドソン研究所での演説で、「FBIが調査している5,000件余りのスパイ事件のうち半分は中国に関連したものであり、中国と関連した産業スパイ行為がこの10年間で1,300%増加した」と述べた。さらに米国務省は、ヒューストンの中国領事館が新型コロナウイルスワクチン情報流出にも関与したことを明らかにした。
 これまでも中国は全世界を対象に様々なスパイ活動を行ってきた。特に欧米や日本などの技術先進国に対しては、サイバーテロやヒューミントによる多重多層な技術情報窃取を繰り返してきた。中でも、今年1月、著名な科学者であるハーバード大学のチャールズ・リーバー教授がスパイ行為で逮捕されたことは、全米各界に大きな衝撃を与えた。リーバー教授は、世界の偉大な科学者のトップに選ばれるほどの世界的権威であり、ナノテクノロジーの第一人者を集めたベンチャー企業Nanosysの設立者である。リーパー教授は、米国防総省や国立衛生研究所から研究資金を得る際、「外資系研究機関との雇用契約はない」と申告していたが、中華人民共和国の武漢理工大学との間で5万ドル(約550万円)の月収と15万8,000ドル(約1,740万円)の生活費を受け取る見返りに大学名義の論文を発表する契約を交わしていたことが発覚した。その後の捜査によると、リーバー教授は、2012年から2017年頃に「千人計画」に参加した事実を米政府に隠したまま国防総省の秘密プロジェクトを遂行し、中国内に米国の研究所と同様の「影の研究所」を作るために約150万ドルを受け取っていたことが判明した。
 
千人計画とは何か
 リーパー教授が参加した「千人計画」とはどのような計画なのだろうか。
 「千人計画」とは、正式名称「海外ハイレベル人材招致「千人計画」」と言い、海外のハイレベル人材を招聘して国家級プロジェクトの責任者とすることを目的として、2009年より中国共産党中央組織部「中央人材工作協調チーム」が主導して行われた。
 応募の条件は、「海外の著名な高等教育機関、研究機関において教授またはそれに相当するポストに就いた者」「国際知名企業と金融機関において上級管理職を経験した経営管理人材及び専門技術人材」「自主知的財産権をもつ、またはコア技術を把握している、海外での起業経験を持ち、関連産業分野と国際標準を熟知する創業人材」「中国が至急に必要とするその他のハイレベルイノベーション創業人材」とされる。
 主な処遇としては、「外国籍の海外招致人材について、本人及びその外国籍の配偶者と未成年の子女が「外国人永久居住証」及び2~5年期間付きの数次再入国ビザをもらえる」「中国国籍の海外招致人材について、出国前の戸籍所在地の制限によらず、国内の任意1つの都市を戸籍所在地として選択することができる」「中央財政から海外招致人材に100万元/1人の一括補助金(国家奨励金とみなし、個人所得税を免除する)を与える」「招致人材及びその配偶者子女が中国国内の各種社会保険制度をうけることができる」「5年以内の中国国内収入の内、住宅手当、飲食手当、引越し費、親族訪問費、子女の教育費などについて、国家税法の関連規定により、免税となる」「招致人材の配偶者について、招致人材の就業先機関から仕事を手配するかまたは生活補助金をだすこと、招致人材の子女の就学について、本人の志望に応じて関連機関が対応すること」「招致人材の雇用機関が招致人材の帰国(入国)前の収入水準を参考に、本人と協議し、合理的な賃金額を決めること」などが挙げられる。こうした条件の下、2012年7月までに2,263人の海外ハイレベル人材を招致したが、その中に相当数の日本人研究者が含まれている。
 
「千人計画」はなぜ生まれたのか
 1949年、中華人民共和国建国後、毛沢東はソ連への接近を強め、科学技術のインフラをすべて中央に集める「ソビエト型」の体制確立を目指した。中国初の5か年計画(1953年~57年)はソ連の援助で始められ、156の重工業プロジェクトが行われ、ソ連から約1万1千人の科学者や技術者が集められて指導にあたった。その後のソ連と中国の関係悪化により、ソ連の技術者が引き上げた頃に起こったのが、毛沢東が主導した「大躍進政策」である。その中で毛沢東は、知識も経験もない労働者にソ連の科学者が描いた設計図を描き換えさせるなど、専門性を軽視した施策を行い、科学技術の発展は大きく阻害された。さらに1966年から1976年まで続いた文化大革命では、知識階級を迫害し、エリート教育を完全否定したため、科学や技術、文化などが大きく後退することとなった。
 文化大革命の影響で優秀な人材が国内にほとんどいなかった中国では、1994年1月、中国科学院が「百人計画」を公表した。この計画は、海外にいた優秀な人材を呼び戻す政策(通称:海亀政策(海亀が回帰するという意味))で、20世紀末までに国内外の優秀な若手学術リーダーを毎年100人招致することを目標とした。人材の処遇としては、給与、医療保険、手当などのほか、200万元の研究費が与えられた。2008年3月までに1,459人の人材を招致し、中国科学院院士14人、研究所所長クラス85人、国家重点実験室主任51人を輩出した。そして、海外の科学技術の移転を一層、促進するために「千人計画」が実施された。
 
日本の対応策
 これまで「千人計画」には、東大、京大、理研などに所属する名だたる研究者が多数参加しており、「千人計画」を通した技術移転・窃取が極めて巧妙に行われてきたことが伺われる。こうした中国の先端科学技術をめぐる施策に対して、日本政府は、文部科学省が科学技術系部局に「学術スパイ」対策などに当たる経済安保担当ポストを新設するほか、外務省も来年度から大学への留学生や研究者らに発給するビザ(査証)の審査を厳格化する。しかし、中国に対抗して欧米との共同研究体制を活発化し、安全保障に対する懸念を払しょくするためには、大学・研究者の意識改革など官民学による強固な技術管理体制が必要と考える。