アフガニスタンで勢力を拡大する「タリバン」、注目すべき中ロの動き

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政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷昌敏

 8月15日、アフガニスタンで、米国や日本など各国が支えてきたガニ政権が崩壊し、スンニ派過激勢力「タリバン」が20年ぶりに首都カブールを制圧して権力を再掌握した。元々、「タリバン」は、1994年11月、アフガニスタン南部カンダハール州マイワンド郡でマドラサ(イスラム教寄宿学校)を開いていたモハンメド・オマルが「タリバン」と称する武装グループを組織し、州都カンダハールを制圧したことが始まりだ。その後、各地から多くのイスラム神学生が加わり、全土の南半分を掌握し、1996年9月には、首都カブールを制圧して「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言した。さらに、1998年8月、北部・バルフ州都マザリシャリフを制圧したことで、アフガニスタンの大部分を支配するに至った。
 1997年、「タリバン」は、オサマ・ビン・ラディン(国際テロ組織「アルカイダ」創設者、FBI最重要指名手配者、2011年5月、パキスタンにおいて米軍特殊部隊により殺害)を保護下に入れた後、その思想的影響を受けて一層過激化し、国連安保理がラディンの引き渡しを求めて、アフガニスタンへの民間航空機の乗り入れ禁止や「タリバン」関係の銀行口座の凍結などを定めた安保理決議第1267号を採択したにもかかわらず、ラディンの引き渡しを拒絶した。さらに国連安保理は、2000年12月、イエメン・アデン港で発生した米駆逐艦コール爆破テロ事件(同年10月)に関連し、改めてビン・ラディンの身柄引渡しを求める安保理決議第1333号を採択したが、それでも引き渡しを拒絶した。2001年9月、米国同時多発テロ事件の発生を契機として、米国主導の連合軍が安保理決議第1368号による自衛権を発動し、アフガニスタンへの攻撃を開始した。2001年12月には、連合軍の攻撃により「タリバン」は敗走を重ね、最後の拠点であるカンダハールを放棄し、崩壊したとされる。
 しかし、「タリバン」の残党は山岳地帯に隠れて生き残っていた。隣国パキスタンの部族地域に活動拠点を移してリクルート活動を行い、勢力を再び拡大させ、2002年には、アフガニスタン東部から南部にかけてテロ活動を再開してきた。
 
勢力を拡大していた「タリバン」
 2015年9月には、「タリバン」政権崩壊後初めて、地方の主要都市であるアフガニスタン北東部・クンドゥーズ州都クンドゥーズを数日間占拠した。また北部、南部の農村部及び山岳部を中心に支配地域を拡大し、2019年末には、アフガニスタン全郡の17%(407郡中68郡)を支配し、また、全郡の48%(407郡中196郡)で支配をめぐり政府と争っていた。2018年6月、「タリバン」は、停戦を求めるファトワ(法学裁定)及びアフガニスタンのガニ大統領の要求に応じ、ラマダンの終了に際して3日間停戦したほか、7月には、米政府高官と「タリバン」幹部がカタール首都ドーハで協議を行った。その後、11月及び12月にも、「タリバン」政治事務所代表スタネクザイと米国のアフガニスタン和平担当特別代表ザルメイ・ハリルザドがドバイ及びUAE首都アブダビで協議を実施した。
 こうした停戦協議を重ねる一方で、「タリバン」は、アルカイダとの結びつきを強め、現アルカイダ最高指導者アイマン・アル・ザワヒリが「タリバン」最高指導者マンスール及びアーフンザーダに対して、忠誠を表明した。「アルカイダ」は、「タリバン」の庇護の下で、アフガニスタン国内での活動を活発化させており、過去数年間が最も活発化しているとの指摘がある。また、「タリバン」は、「パキスタン・タリバン運動」(TTP)から資金や戦闘員の提供などの申出を受けていたとされ、2013年10月には、反対にTTPが「タリバン」から資金面で支援を受けていること及びTTP幹部マウラナ・ファズルッラーが「タリバン」によってかくまわれていることが明らかになっており、相互に一定の関係があることがうかがわれた。さらに「タリバン」は、カシミールで活動する「ラシュカレ・タイバ」(LeT)との関係を深めており、2014年5月に発生した西部・ヘラート州所在のインド総領事館に対する襲撃事件では、LeTと「タリバン」が共闘していたとされている。
 そして「タリバン」は、麻薬関連での年間収入約4億米ドル(2018年)のほか、外国からの資金調達、鉱物の発掘・販売、住民からの「税金」の徴収などによって資金を獲得しており、近年の年間収入は15億ドルに達するとの指摘がある。この豊富な資金力を背景に「タリバン」は、勢力を著しく拡大していた。
 
「タリバン」と中国・ロシア
 アフガニスタンは、中国にとって経済圏構想「一帯一路」の要衝として重要な地域だ。中国は、隣接する新疆ウィグル自治区へのテロの流入を懸念して「タリバン政権」をいち早く容認した。既に7月末には「タリバン」の代表団が中国の王毅(ワンイー)外相と会談して「新疆ウィグルと連携する東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)と手を切る」ことを約束していた。また、ロシアは、イスラム過激派アルカイダがチェチェンのイスラム・ゲリラを支援し、中央アジアに拡散している現状を強く認識しており、「タリバン」に対してガスや石油をはじめとした経済的恩恵を与えて懐柔を図るだろう。
 国際社会から孤立する「タリバン」にとって、中国とロシアが経済支援と国際承認を与えてくれることは非常に重要だ。米国がいなくなった代わりに中ロがアフガニスタンで影響力を拡大させることは、中東から中央・南アジアにかけてのパワーバランスを大きく変化させることになる。
 以前、「タリバン」は、世界遺産に登録されていた中央部・バーミヤン州の仏教遺跡群の石像を破壊すると宣言し(2001年2月)、大仏のみならず、石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割を損壊した。専門家の間では、この時の極端なイスラム原理主義に戻ることはないだろうとの見方もあるが、「アルカイダなどのイスラム過激派との関係がそう簡単に切れるとは考えられないこと」、「タリバン内の最強硬派ハッカニ・ネットワーク(HQM)などの動向が不明で政権の不安定要因となる可能性があること」などから、今後の「タリバン政権」の行方はまだまだ予断を許さない状況と言える。「タリバン政権」が一国家として開放的で寛容な政権を維持していくことができるのか、我が国としても中ロの動きも含めて、中長期的な視野で注目していくべきだろう。(参考:公安調査庁「国際テロリズム要覧2020」)