「日本政界に欠けたもの」

.

会長・政治評論家 屋山太郎

 東西冷戦が終わると、欧州各国はそれぞれ新しい政治局面を迎えた。欧州が日本と異なったのは、共産党が劇的に変身した点にある。各国で複数の新政党が誕生し、それぞれ政界再編を断行、連立のありようも自由になった。
 これまで欧州の政党は、時折こうした劇的な変身を見せてきた。最近でも、ロシアのウクライナ侵攻に対するドイツ社会民主党の対応がいい例だ。総選挙で新首相に選ばれたショルツ独首相は、従来の外交方針を一変し、ウクライナに武器供与することを決定した。
 こうした新方針は、それまでの平和主義的な外交政策とは根本的に違ったはずだ。日本なら社共の一角が文句をつけて、連立内閣は一気に破綻するだろう。欧州の政治には、常にこの融通無碍の強さを感じる。これはどうしてなのか。
 既に1970年代から、欧州各国の共産党は、自分たちがソ連の共産党とは「全く違う」政党であると宣伝していた。というのは、それに先立つ56年にハンガリー、68年にはチェコスロバキアと、ソ連共産党が友邦国を武力で締め上げたのだ。この締め上げを見た近隣国の共産党は「私の党とは違いますよ」と宣伝せざるを得なかった。これは国を越えた運動となり「ユーロコミュニズム」と呼ばれた。言ってみれば「ソ連型よりは柔軟指向ですよ」というような主張である。柔軟さを追求するとなれば、党首の決定方法や民主集中制による党の意思決定も、民主化する必要がある。
 党の柔軟化は政権に近づく道でもあるとの認識が広まり、欧州共産党の構造改革が一気に進んだ。政党がイデオロギーを捨てると、他党との話し合いや連立が簡単になる。91年の冷戦終結前から、欧州各国の政党は既に多くの連立政権を作っていた。また冷戦終結後は「共産党」の改名が流行。粗方の大政党が共産党の看板を下ろした。連立の組み合わせもより自由自在になった。
 党名変更や民主集中制の廃止によって何よりも変わったのは、政党の運営が民主的になったことだ。共産党は共産主義による国家を目指すもので、民主主義的国家を目指すものではない。スイスが長年共産党を認めなかったのは、スイス憲法の目的が自由な民主主義国家を目指すものだったからだ。
 こうして欧州のユーロコミュニズムは、次第に民主主義に重心を移して行き、自然現象のように共産主義のイデオロギーを消していった。一旦イデオロギーが消えると、話し合いに繋がり、連立交渉に立ち塞がる大問題というものも無くなる。ショルツ氏が従来路線とは真逆の外交方針に舵を切れたのも、自由な発想が出来たためだろう。
 日本でも自由な発想が許されるなら、自民党から日本共産党まで、連立できない問題はなくなるはずだ。それが出来ないのは日本共産党が自らのイデオロギーを捨てられないからだ。放棄すれば、イタリアやドイツのように連立が自在の政界となるはずだ。
(令和4年6月15日付静岡新聞『論壇』より転載)