「全野党共闘戦術に見る陥穽」
―共産党の手口に嵌まった歴史の轍を二度と踏んではならない―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 民進党が揺れている。保守派の論客として定評のある長島明久元防衛副大臣が「共産党と共闘する党の方針は受け入れがたい」として離党届を提出し、除籍された。加えて細野豪士代表代行が代行職を辞任した。辞任の理由は自らまとめた「憲法改正私案」が改正に反対という執行部の意向にそぐわないからだという。また保守派に連なる渡辺周氏を静岡県知事に担ぎ出そうという動きもある。保守派にはまだ前原誠司元外相という大物がいるが、党内の比重は大きく左に傾いた感じである。
 蓮舫代表の意図は、全野党を結集して自民党に対抗する。その戦術のためにこそ、共産党と票の分け合いをするのだという理屈である。しかし社民党の前身・社会党、民進党の前身・民主党も共産党との共闘路線を歩いて自滅したのを忘れたのか。
 共産党とはどういう政党か。古くはソ連共産党からカネを貰ってコミンテルン(国際共産党組織)の日本支部としてスタートした。戦後の共産党もソ連や中国を目標とした政党だった。祖国建設の目標は明白に共産主義国家なのである。西側各国に誕生した共産党は米ソ冷戦が終わった後、不明を詫びて解党するか、解散した。ところが日本の共産党は無謬主義を貫いて「間違った」とは言っていない。94年に村山内閣が誕生して、母体の社会党を「社民党」に代えた際、共産党は社会党の非武装・中立路線を引き継いだ。
 政治体制をどうするかについて共産党は何も言っていない。全野党共闘のスローガンは「政権奪取」であり、政府の形は政権をとってから考えようというのである。全野党が勝った時のことを想像して貰いたい。各党協議で政府の形を考えることになる。各政党は党に持ち帰って相談することになるが、各党とも各派閥の思惑が違って新しい政府の形など固まらない。その中で共産党だけは党首の一存で賛否が表明できる。なぜ一存でできるかと言えば、党運営は全て「民主集中制」という名で独裁が可能だからだ。
 日本共産党が党名も党運営の原則も変えないのは、政権を臨機応変に握れるからだろう。かつてルーマニアは最小政党の共産党が政権に入って赤一色に染めた。
 かつての日本学術会議を知る者は共産党の手口のうまさに感嘆する。日本学術会議は1984年、会員の選出方法を学会推薦に変えたが、それ以前は会員同士で選挙することになっていた。共産党は票割りがうまいから原子力を扱う第5部に“運動屋”を選出していた。桑原武夫京大教授が当時書いたエッセイ「3人で学会を牛耳る法」という学術会議をからかった文がある。各部会は10人の理事で議事を運営するのだが、度々文句をつけられると真面目な学者はイヤになって出席しなくなり、常時出る人は5人になる。こうして学会は3人の共産党員ないし、シンパの思い通りになる。
 長島氏は共産党との共闘の本質がわかっている一人だ。まして北朝鮮、中国の振る舞いを見て非武装がいいとの心境にはなれまい。
(2017年4月19日付静岡新聞『論壇』より転載)