「欺瞞の歴史」を克服して國體の復権を目指そう

.

政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

Ⅰ 正真正銘の敵を正義の勢力だと錯覚させられた戦後日本人
 筆者は、「敵を見失っても能天気な日本人」と前号で平成日本人に自省を促した。だが、敗戦後70年以上続く平和を受け継ぐ平成の御代に、この論者は「敵」だなどと一体何が言いたいのか分からないと言う人が多いように思われる。そこで本号では、歴史の闇に踏み入って筆者の発言の根拠を少しく開示してみたい。
 敗戦後70有余年の時の流れの中で、我々は戦争という事態に直接的に関与せずに、只管、経済発展と国民生活の向上に取り組んで、ある程度の成果を挙げた。そして、丁度明治政権樹立から37年目の日露開戦に至る時間と同じ、講和条約発効から37年目(1989年=平成元年)の正月、昭和天皇が崩御された。皇太子明仁殿下が即位され平成と元号が替わった。即位された今上陛下は、正月9日の朝憲の儀で「憲法を守る」とご発言されたのである。
 平成の御代も28年を閲した。今や戦時中盛んに高唱された「鬼畜米英」は間違った戦争をして国民を塗炭の苦しみに陥れた軍国主義者が好んだ馬鹿な戯言だと一笑に付される。同時に、真の日本人なら誇りとするのが当然の「國體」は、芥に塗れて人々の脳裏の片隅に追いやられ、今や風化の危機に瀕している。お前は時代錯誤の馬鹿者かと言われても言う。「鬼畜米英」は歴史の事実に近く、「國體」は紛う方なく日本民族の大義と誇りの原点だと言う。國體を一言以て表すれば神代から萬世一系の天皇が統治する一君万民の国柄ということである。
 悠遠なる神代の昔に遡れる日本民族の歴史の初発には皇室の御先祖の神々が誕生して統治の洪範である國體が成立し、萬世一系の皇統が日本民族統合の支柱として継承されて今に至る。斯くも悠遠なる神代に淵源する歴史に裏付けられた國體を保持する国家は、世界広しと雖も我が日本を措いて他には存在しない。國體と表裏一体の民族信仰である神道は現代においても深く穏やかに国民精神に定着している。神道は自然の摂理に柔軟に融合する日本民族の精神の糧である。それを悪い戦争をして敗けてしまったとの理由で、簡単に打ち捨てる所業は、皇祖皇宗に対しても、我々日本国民の各家のご先祖に対してもこの上なき不忠・不義と言わざるを得ないのではないか。