「欺瞞の歴史」について

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政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

Ⅰ 正しい歴史認識を「歴史修正主義」と貶める奴原の正体
 大東亜戦争敗北から70有余年を閲した。國體を見失わされた日本国はエコノミック・アニマルと揶揄される不安定な疑似国家の状態で今に至っている。そこには必ず深い理由がなくてはならない。そこで、注視すべき問題がある。歴史修正主義とか歴史修正主義者という用語である。
 それは何か。インターネットの時代である。そのウィキペディアの用語解説が便利に活用される。この言葉の解説を見ると、「従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して『客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去を誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである』として批判する場合に用いられる言葉」とある。つまり、「客観的な歴史学の成果」に基づき学界や公的教育の分野で既に定説(常識)とされている歴史観や歴史解釈に反抗する新しい史観や解釈が出た時、それを排除する際に使用される敵対者抹殺のための用語なのである。
 だが一寸待って欲しい。公的或いは世間的に既に常識化している歴史認識が、イデオロギーに無縁で本当に「客観的な歴史学の成果」だとどうして言い切れるのだろうか。どんな学問の分野でも、物事の真相を追及して理解を深めて行けば必ず客観的真理だと言われる説明も再検討が必要とされて、追々見直されて修正されて行くのが当然なのである。それが学問の普通の発展、常道なのである。ウィキペディアでは、正当な説明を並記している。「(歴史学における解釈では、)新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした試みのこと」であると。その通りである。従って、「歴史修正主義」を多用する者達とは、「客観的な歴史学の成果」を隠れ蓑にして彼らにとって邪魔で排撃すべき歴史観や史実の新解釈を抹殺する目的を持つ至極政治的な勢力だと定義すべきなのである。

Ⅱ 世界を「欺瞞の歴史」で操縦する悪人たち
 そうすると、自分たちの歴史認識が絶対に正しく、それを批判する者は、何としても排除しなければならないと息巻く者どもとの正体が知りたくなる。何の目的でそのように芸の込んだ仕業をするのか。ある歴史事象については、それが複雑で重層的な問題で有れば有るほど色々な解釈が出てくるのは至極自然なのだ。