3月11日の大地震ならびに大津波でお亡くなりになった方々のご冥福を
お祈りするとともに、被災者の方々に心からの御見舞いを申し上げ、
一日も早い復興をお祈り申し上げます。

もう二度と聞けない「演歌に学ぶ日本語論」

  

政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所助教

丹羽 文生

 
 本当に呆気なかった。訃報を聞いてから数日間、キリっとした眉毛、長い鼻の下、四角い大きな顔の花岡信昭先生の姿が頭を過ぎる度に涙が零れ落ちた。亡くなる3、4日前、拓殖大学文京キャンパス内のベンチに座り、30分ほど政治談議に花を咲かせたのが先生との最後だった。
 先生とは筆者が衆議院議員秘書を務めていた頃から面識はあったが、公私に亘って深くお付き合いするようになったのは、先生が非常勤講師をしていた国士舘大学大学院に入学して「政党政治論」の講義を受けるようになってからである。
  堅苦しい政治学の抽象的な理論概念を、魑魅魍魎とした政界の具体的な事象と照らし合わせながら展開する先生の授業は、一方通行のものではなく、双方向性のある活気に溢れたものであった。中でも特に印象深かかったのが「演歌に学ぶ日本語論」だ。
 「演歌の大半は七五調のリズムでできている。優しさ溢れる美しい日本語で人間の切なさや情念を醸し出すのが演歌の真髄だ。これが分かれば、レポートでも論文でもリズム感が出てきて読み易くなる」
 「都はるみの『北の宿から』は『あなた変わりはないですか』で始まる。歌詞の全てが七五調。美空ひばりの『みだれ髪』の歌い出しは『髪のみだれに手をやれば』で、こちらも同じ。 大月みやこの『女の港』に『二ヶ月(ふたつき)前に函館ではぐれた人を長崎へ』という箇所がある。『三ヶ月(みつき)前に』では6文字にしかならない。『函館で』も『小樽で』にすると5文字になり、『長崎へ』を『佐世保へ』にすると4文字になって、七五調が崩れてしまう」
  演歌好きの先生とはカラオケも何回かご一緒した。歌声は天下一品。天国へ向かう旅路で先生に口ずさんでもらおうと、ご子息に頼んで、「北の宿から」と「みだれ髪」の歌詞カードを棺に納めてもらった。ところが、先生の十八番でもある「女の港」の歌詞カードを入れ忘れてしまった。先生が大月さんの熱烈なファンであることは有名だ。申し訳ないことをしてしまったと今さらながら悔やんでいる。
 2 年前の 4 月から偶然にも同じ拓殖大学で教鞭を執ることになった。「恩師」と「教え子」が「同僚」になってしまった。辞令を受けた後、茗荷谷のファミリーレストランで、一滴も酒が呑めない先生とコーヒーで祝杯を挙げた。
 先生のことを「恩師」と呼ぶと、いつも「エヘヘ」と照れ臭そうに笑っていた。逆に先生は私のことを人に紹介する時、「おこがましいが一応『教え子』。今は同期入社の『親友』」と言ってくれた。恐縮至極の思いだった。
 新宿の喫茶室ルノアールで独身の筆者と恭子夫人へのプロポーズの方法を考えたこと(6年前に結婚)、一緒に中国を訪問して日本研究者と「靖国」を巡って大バトルを繰り広げたこと・・・。たくさんの思い出が走馬燈のように浮かんでくる。
 最後に・・・。 大事な、大好きな花岡先生、10年間、可愛がって下さり本当に有難うございました。先生と過ごした時間は私の人生の大切な宝物です。ゆっくりお休み下さい。
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