4月9日付「自民党の日本の再起のための政策」(原案)を一読した。「政権交代選挙に向けた政策パンフレットで取上げる7つの柱」と副題されてゐるから、次の総選挙における政権公約とみてよいであらう。以下、思ふままに所感を述べたい。
1 重点の置き方、順位について
冒頭第1章が「日本の再出発」であり、本公約そのものが「日本の再起」であるが、いかなる状態からの「再起」、「再出発」なのだらうか。そのことが明確でないと、政策そのものの目的が不明瞭となってしまふ。
今年は我が国が外国軍隊の占領下から漸く脱して独立主権を回復してから60年となる。自民党は既に4月28日を「主権回復記念日」とする祝日法改正法案を国会に提出してゐる。このことは、我が国が主権を回復して60年経ったにも拘らず、国民が国家主権回復の意義を未だ理解せず、占領時代の総括も未だに行なわれてゐないといふ情ない現実を自民党も漸く理解したことを意味する。
その意味で「憲法改正」を冒頭に掲げたことは正しいし、高く評価してよいと思ふ。しかし、それならば「自立した日本・総合的安全保障」が6番目におかれるのはをかしいのではないか。憲法改正に次いで少くとも第2番に来るべきであらう。
第1章の中で、「憲法改正」と並んで「地方制度・道州制」が掲げられるのは、何故だらうか。地方制度はあくまで内政問題であって、国家の独立の下において初めて可能である。重点の置き方が間違ってゐる。第5章の「地方の重視・地域の再生」の中に置かれるべきものである。
重点の置き方とも関連するが、國神社問題が全く触れられてゐないのは不思議である。毎年党の方針にも掲げられているゐることだし、首相以下全閣僚が靖国神社に参拝し、護国の英霊に感謝の誠を捧げ、祖国防衛を誓ふことは政府の当然の義務として高く強調すべきであらう。
2 「憲法改正」について
現行憲法は占領軍が国際法に違反して日本国に強制したものであるから、本来無効であり、全面的に書き改め、自主憲法として制定されなければならない。
(1) 何よりも先ず天皇条項の改善(元首の明記、国事行為その他の字句の改善、
宮中祭祀の明記等)と国民主権の語の廃止(語義が明確でない「主権」の語を「国家主権」以外の用法に用ゐるのは憲法上不適切である)が必要である。
(2) 「自衛権」は国家固有の権利であり、憲法に明記する必要はない。国家である以上、「軍」の保有は当然のことであり、現行憲法9条が常軌を逸してゐるのである。従って、「軍」に「自衛」という形容詞句は不要である。「国軍」とすれば十分である。(中国の「人民解放軍」は国軍ではなく中国共産党の軍である)。
なほ、帝国陸海軍が出動したのは、悉く自衛又は条約上の義務履行のためであった。
軍の規定については、統帥権(最高指揮権)の所在と編成装備について規定すればよい(例へば、「軍の編成は法律で定める」の如し)。
(3) 緊急事態条項の新設、改正の発議要件を過半数に緩和する、等の改正は妥当であるが、国民投票規定は廃止すべきではないか。
(4) 国旗、国歌の尊重は規定しても差支へないが、国民として当然のことで、刑法等に違反者の処罰規定を置けば足りると思ふ。なほ天皇に対する不敬行為も同様である。
(5) ねぢれ国会解消のため、衆議院の再可決条件を3分の2から2分の1に緩和すべきである。
(6) 政教分離規定の緩和が必要。特に個人宗教でない団体宗教(民族宗教)は別扱ひとする必要がある。このやうな団体(共同体)の宗教は習俗と不可分だからである(習俗そのものと云ってもよい)。
3 外交・安全保障について
(1) 前述の如く本項は憲法改正に次ぐ最優先課題であるが、その内容は概ね適当と云ってよい。若干の問題点のみ記す。
(2) 法律の制定を俟つまでもなく、自衛権が国家固有の権利である以上、集団的自衛権の行使は可能である(それを禁止する明文は現行憲法にも存在しない)。もとより法律に明記することは差支へないが、その要件はあくまでも国際法に基づくことに尽きるのであり、それ以上の制約を課することは許されない。国際平和協力活動における武器使用基準も同様であり、現行の制約(自衛隊法、平和協力法等)を撤廃すればよい。
なほ、憲法改正を俟たずとも自衛のための軍隊の保持は可能との解釈を採ることは可能である。
(3) 安全保障基本法の内容は詳かでないが、通常の国家並みの国防方針を採らなければならない。専守防衛などという制約は速かに破棄すべきである。
(4) 防衛費の拡充は刻下の急務である。このことを明記したことは評価できる。
(5) 領域警備法の制定も急がれる。最も重要なことは、防衛出動命令がなくとも、現場指揮官の判断によって自衛権の発動を可能とすること、そのための授権規定を明記することである(有事即応体制の実効性確保)。
(6) 冒頭に日米同盟の再構築とあるのは何を意図するのか。安保条約の改正による双務条約とすることを意味するとすれば高く評価してよい。
但し、「近隣諸国との信頼醸成」とは意味不明である。信頼を毀損して来た原因は彼に在って我にない。我が国固有の領土を侵略、不法占拠し、或いは不当に自国領土と主張し、歴史問題や英霊顕彰など純然たる内政問題に不法干渉を繰返して来たのはどこの国であったのか。「信頼醸成」といふのならば、我が国が毅然として自国の主張を相手国に明言し、同時に世界に発信することしかあり得ない。そのことを自覚してゐるのだらうか。
(7) 「TPP交渉参加反対」を明確に打出したが甚だ疑問である。我が国はWTOに早くから加盟してをり、自由貿易の恩恵を受けて来た。「聖域なき関税撤廃」はその理想である。各国それぞれ立地条件や資源状況が異るから何らかの保護対策は必要であるが、関税はその一手段に過ぎない。また10年の余裕期間もあることだから十分に検討すればよいことではないか。また多国間交渉だから二国間のFTAよりやり易い面もあるかも知れない。断定的に不参加を決めてしまふことの国益上の損失について十分に熟慮すべきであらう。(TPPには対中海洋国聯合の意味もある)。
(8) 原子力問題について明示してゐないが、後論する。
4 復興の加速、将来への投資、自助を基本とする社会づくりの諸項について
(1) これらの問題の対策は概ね適当であり、異論がない。
今回の大震災は阪神淡路大震災に比べて復興の速度が極めて遅い。これは、被災地が広範囲に及んだこと、津波が今後の防災対策を含めて多くの難題を残したこと、原発事故が重なったこと、等による影響があったことにもよるが、何よりも中央政府の対策が遅拙を極めたことによると言へる。これらの点は順次改善されて来てはゐるが、基本的な問題がある。
それは民主党政権による「政治主導」のはき違へである。民主党が政権を握るや、すべての権限を「政務三役」に集中し、官僚は単に政務三役の指令を受けて事務を整理するだけの存在とした。従って官僚本来の業務である企画立案能力は発揮できず、物事を決定するにも細部に至るまで大臣の了承を必要とし、従って大臣の指示が来るまでは決定を控へるといふ傾向が定着してしまった。要するに官庁機構が半身不随になってしまった。今回の災害において自衛隊、警察、消防等の組織が十分に機能を果したのは、指令一下、現場指揮官が十分にその創意工夫を働かせ得たからである。
従って、民主党の「政治主導」の悪弊を正し、政治家は大綱を決定、指示し、細部は官僚に委ねる(もとより誤りがあれば是正する)従前の体制に戻すことが何より必要である。
(2) 原子力の重要性について
災害の復興には産業の復興と雇傭の確保が必要であるが、そのためにはエネル
ギーが確保されなければならぬ。そのエネルギーの大半は電力に依存する。従って
電力の供給確保に触れない復興計画や将来計画は意味がない。
然るに自民党案では、「綜合的安全保障」の項目の下に「原子力の未来を決める10年」として10年間国民的議論を行って結論を出すといふ。無責任にも程がある。
我が国の電力は3割以上を原子力に依存してゐる。その原子力発電が、今や設備があるに拘らず5月の泊原発(北海道)を最後に全面休止してしまふといふ。これ程の国力の損失はないであらう。その結果、我が国は再び化石燃料やLNGに依存することとなり、貴重な外貨を浪費して輸入に仰ぐこととなった。そのため昨年度の貿易収支は赤字となり、経常収支ですら一時的に赤字を計上するまでになった。のみならず、電力コストは増大し、電力価格は値上げせざるを得なくなった。しかも今年の夏は電力不足の危機が迫ってゐる。円高や後進国の追ひ上げなどで、海外移転、国内空洞化の危機が叫ばれるのに、一方で原発を稼働停止させる失政に対して、政治家もマスコミも口をつぐんでゐるのはまことに不思議である。
東電福島第1原発で津波事故が発生したことはまことに不幸であった。その直後の人為的ミスもあって放射能漏れが発生した。左翼陣営はこれを好機と捉へて反原発運動を全国的に展開した。一部の学者と提携して放射能被害を針小棒大に宣伝した。菅直人はこれに便乗して脱原発を公言した(彼が就任直後「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と叫んだことなどはとうに忘れてしまったらしい)。また風評被害も全国的に宣伝されて生産者に無用の損害を与へた。政府、特に厚労省は従来の厳しすぎる安全基準に輪をかけた荒唐無稽な基準を公表した(小宮山厚相の指示と云はれる)。さらに今や殆ど安全であるに拘らず原発周辺の住民は疎開させられたまま帰村も帰宅もできない状況となった。
まさに福島県民に対する不当極まる処遇と云はなければならない。
今や政府のなすべきことは二つ。一つは休止中の全国の原発を一刻も早く稼働させること、二つは放射能の正しい実態を周知させることである。それによって電力需給を回復し、電力値上げを抑制し、国際収支を改善させることである。それなくしては、いかに美辞の政策を並べようとも、所詮は画に描いた餅にすぎない。また放射能に関する専門家の意見に耳を傾け、福島県民の処遇を改善し、全国民を安心させなければならない。
なほ、我が国の原子力技術は世界一である。この技術を今後も継承させ、また世界に輸出していかなければならない。核戦力との関係に於ても、これを放棄するなどということは論外の沙汰である。
今後10年に検討すべきこととは、例へばトリウム原発とかメタンハイドレードの活用などであって、原発それ自体は今後も推進すべきである。地球温暖化対策としても有効である。
5 教育問題について
(1)本案では教育、人材育成は「将来への投資、強い日本の再生」の項に含まれ
てゐるが、重要問題であるから別論とした。
(2)「教育基本法に基づく『人間力』重視の教育」と謳って、「道徳教育の充実、
高校で新科目『公共』設置、土曜授業や全国一斉テストの復活」などが内容とされてゐるが、いづれも重要である。但し、「人間力」という語は適当ではない(かつての「生きる力」を聯想させる)。「健全な国民」の育成でよいではないか。国家観念の無視が戦後教育の通弊だからである。また道徳教育は正規の「教科」にしなければならない。さもなければ教科書もできないし、指導教師も育たない。また「公共」科目は「公民」とどう違ふのだらうか。現在の「公民」の内容がひどすぎるのである。
(3)「幼児教育の無償化」とは義務化を意味するのだらうか。保育との関係をど
う捉へるのか。民主党政権の唱へる「子供園」の問題もある。まだ検討不十分と考へざるを得ない。
私見としては多くの私立幼稚園は立派な教育を行ってをり、無用の統制は伝統を破壊する惧れがある。自由に教育させた方がよいと思ふ。
また民主党バラマキ政策の一つである高校無償化をどうするのか。義務教育でない以上、当然に廃止すべきではないか。
寧ろ中学校義務制を廃止した方がよい。無償措置は継続して差支へないが、中学校に於ては、例へば男女別学、留年、退学等が自由に行へる方が教育上望ましいと思ふ。
(4)大学9月入学の推進が謳はれてゐるが、4月〜9月間は社会的ボランティアを義務付けるのだらうか。この点も慎重に検討する必要がある。自衛隊体験入隊など最も望ましい施策とならう。
(5)最大の問題は教科書について触れてゐないことである。今や教科書の編集と採択は左翼陣営の最大の牙城となった。保守陣営として何よりも手を付けなければならないのは教科書の改善である。教基法の改正、学習指導要領の改善にも拘らず、未だに反日自虐偏向教科書が小学校から高校まで氾濫してゐる。
何よりも検定制度の改善が必要である。昭和57年の教科書事件以来、文部省の検定制度は骨抜きとなり、反日教科書の横行となった。「近隣諸国条項」の廃止をはじめ、検定方針、検定内容の抜本的改革が必要である。
併せて採択制度の改善も必要である。現在の採択責任は何処にあるのか、不明なことが少くない。教育委員会の存廃問題を含め、抜本的検討が必要となってゐる。大阪府、市で行ってゐるやうに首長の責任を拡張することも当然検討する必要がある。
6 地方制度及び行政改革について
(1)本案では憲法改正と並んで道州制の実現を謳っている。
県と市町村の関係について政令市を含め事務の整序を行ふことは必要であらう。しかし道州制に飛躍することは不適当である。
市町村の統合により確かに効率性の面では効果があったと思ふ。しかしそれだけにかつての字(あざ)に示されたやうな部落の特性が失はれつつあることにも留意する必要がある。特に府県制は100年以上の歴史を持ち、政治経済文化の各側面において独特の個性を有するに至ってゐる。交通、人口移動の活発化によって、広域行政が必要となってきてゐることは事実であるが、それは個別問題に関する広域連合によって処理すればよい。
問題は寧ろ道州制の実施によって国家体制が解体され易くなることである。政治はもとより、経済文化面に於いても国家による統一的施策が必要なことは少くない。戦前に較べて地方分権主義が強くなりすぎた結果、国家施策が浸透しない場合が少くない。教育問題などはその適例である。民主政治における選挙制度がこれに拍車をかける。最近の事例でも基地問題やエネルギー問題など、民主党政権の混迷もあるが、地方権力が強すぎるために外交上、国防上、また一国の産業全体にとって大きな禍根となってゐる。
極論すれば、現在必要なことは道州制ではなくて中央集権体制の強化ではないか。
(2)行政改革問題についても同様である。本案に於ても相変らず公務員叩きの傾向が見受けられる。これはマスコミに扇動されたポピュリズムと云ってよい。
我が国の公務員数は決して多くない。これは各国のそれと対比してみれば明瞭である。しかし戦前と比較すると大巾に増加してゐることも事実である(外務職員は逆)。
従ってできる限り削減することは必要であるが、そのためには事務の整理が必要であるし、一律に二割削減などと断定することは、民主党の悪例に習ふものである。「内閣人事局」によって各省の幹部人事を統制することは差支へないが、すべての人事を自ら行ふことなど到底不可能である。縄張り意識の改善は、公務員各自の自覚に俟つべきであり、特に学校教育において国家に対する忠誠心を植付けることが先決であらう。勿論各省間の人事交流はぜひとも積極的に行ふべきである。
最も重要なことは前述した民主党政権の政治主導の誤りを正すことであり、それによって官僚の才能を十分に活用することである。過度の天下り規制は決して適当とは思はれない。
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