世界制覇を狙う「イスラム国」
―異宗教を寛容する神道と、それを認めない一神教―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 「イスラム国」は全アラブ諸国どころか、全世界を制覇しようというのだから、アラブ諸国も米欧陣営も徹底した押え込み作戦で臨むしかない。一神教の世界の人に他宗派は完全なる敵である。キリスト教世界はカトリック、プロテスタント、ギリシャ正教など分派したが、政教分離をすることによって共存の道を得た。私も何度も取材に出かけたが、アラブ世界はシーア派(イランなど)とスンニ派(イラクなど)の区別が部外者にはわからない。どこかの時点で聖職者の親分が異説を唱えると分派してしまう。これまでは分派した勢力が自らの国を支配して、均衡を保っていたように見えた。しかしこれは西欧的な政教分離ではないから、統治地域は常に変わる可能性がある。
 リビアのカダフィ大佐(最高指導者)などは早くから壮大なるアラブ諸国の連合を唱え、1972年にはエジプトのサダト大統領、シリアのアサド大統領と汎アラブ共和国連邦を構想した。こうした動きが潰れたあと、2011年にチュニジアにジャスミン革命が起き、次いでリビア、シリア、エジプト各国は四分五裂となった。辛うじて統一を回復したのはエジプトの軍事政権だけだ。
 アラブに取材に行くたびに感じたことだが、イスラム世界に相応しい政治形態は王政・首長制か独裁政治か、軍事政権の三種類しかないと思う。西欧側は民主主義が最も良い政治体制と思っているようだが、アラブ世界ではこれは普遍の真理ではない。
 「イスラム国」は領土も宗派も飛び越えて独善的な自らの思想で、まずアラブ諸国を支配しようとしている。その強大な軍事力を背景にして西側諸国はおろか「8500キロも離れた日本」まで敵視するのである。
 国会の論議を聞いていたら辻本清美氏が、二人の日本人が殺害された時「首相はどこにいたか」と追及している。あたかもホテルや料理屋にいなければ、二人を助けられたと言わんばかりだ。マスコミにも多い議論だが、「日本がアラブの難民支援のための2億ドルを支出すると言ったから仕返しされたのだ」と言う。支援がテロの口実にされたかも知れないが、起こってもいないテロを慮って、日本国は永久にじっとしていろと言うのか。これが非武装中立の心情なのだろうが、日本は世界中で活動しなければ食えない国なのだ。
 日本人は何千年も神道を信じて生きてきたが6世紀に仏教が伝来する。本来、伝承した宗教は古い宗教を破壊しようとするものだが、日本の天皇は「新しいものを入れよ」と新規参入を許可した。仏教が入ってきて、日本人は初めて「我々が信じていたのが神道だった」と気付いたという歴史学者の説を読んだことがある。以来、日本は何十、何百もの宗教を受け入れた。日本人は異宗教に極めて寛容なため、分派をして殺し合いに至る宗教心情を理解し難い。後藤健二さんらの悲劇は、「イスラム国」が勃興し、世界を相手に闘おうというその矢先に出くわしたことだ。



(平成27年2月25日付静岡新聞『論壇』より転載)

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