我が国の戦後70年の節目
―安全保障関連法の成立と憲法改正が急務―

 
理事・政治評論家  屋山太郎 

 戦後70年の節目には、各国、多様な思い入れがあるようだが、日本の節目に相応しいのは「集団的自衛権」を容認する安全保障関連法を成立させることだろう。国会審議は5月下旬から始まる予定だが、当分、国政選挙も地方選挙もない。国会で実のある審議をして貰いたい。
 軍備は要らないという人たちは憲法9条があったからこそ70年の平和が保てたと言う。あるいは9条を掲げる故に軍備は持つべきではないと言う。この無鉄砲な論理を掲げた旧社会党は最盛期の140議席から政党名を変えて存続する社民党2名にまで転落したではないか。9条の思想は実態的に消滅したと言っていい。
 圧倒的に強かった米国の保護国並みの頃は、「戦さ」は米国任せの気風が強かった。そのオバマ米国が頼りない感じを漂わせる一方、隣国、中国が力の外交をやるようになった。南シナ海の岩礁に飛行場か軍事基地を造りだしている。2014年の世界の軍事費は米国が前年比6.5%減らす中、中国は9.7%増。第3位のロシアも8.1%増となった。
 10年前に比べると米国が0.4%減らしたのに対し、中国が167%と伸びて世界最高を示している。日本はインド、ドイツを下回り9位である。日米の軍事費に比べて中国の増加率はけたたましい。日米がこれに対抗するには日本の自衛力を使えるようにするか、軍事費を注ぎ込むしかない。
 9条派は以上のような国際情勢の変化を一顧だにせず、「解釈改憲」「戦争法案反対」と切り捨てようとしている。民主党の岡田克也代表は憲法改正について「安倍さんの時代には議論しない」と言う。安倍首相の改憲論は厳しいだろうから「議論したくない」という論法である。相手がどのような思想であれ、議会というものは議論を戦わせて勝負をつけるのが仕来り(しきたり)だ。岡田氏が言っているのは「あいつは人相が悪いから議論したくない」と言っているに等しい。
 日本の憲法ではもともと自衛権は否定されていない。国連憲章には、自衛権には「個別的」と「保守的」と両面あると規定してある。日本が勝手に「集団的自衛権の権利はあるが行使できない」と解釈してきた。これは内閣法制局の誤りである。そもそも内閣法制局があらゆる法律について“絶対的”な解釈権を持っているのはおかしい。憲法41条には国権の最高機関は国会であると規定してある。あらゆる法律が国会でつくられるのに、その解釈権を内閣法制局がなぜ持つのか。内閣法制局は官僚内閣制を創るに当たって、法解釈の最高機関として設置された。国会を最高権力と決めた新憲法制定に当たって、内閣法制局が消滅したのは当然だが、それでは官僚内閣制が不備になるといって数年後に復活誕生させたのである。安倍晋三氏は内閣の最高決議は閣議であるべきとの考え方で、安保関連法は国会提出に当たって閣議で決定された。これが真っ当な形だ。


(平成27年5月20日付静岡新聞『論壇』より転載)

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