安保法制懇報告書と集団的自衛権
JFSS政策提言委員・大阪国際大学名誉教授 奥村文男
1 はじめに
 平成26年5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(以下「安保法制懇」という)」は安倍晋三首相に集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ報告書を提出したが、当該報告書は戦後のわが国の安全保障政策の抜本的な見直しを迫るものであり、安倍首相はこれに対して必要な法的基盤の整備に関して真剣に検討を進めていく決意を語っており、戦後約70年にして漸くわが国はその安全保障政策の転換の重大な岐路に直面していると言わざるを得ない。安保法制懇報告書は集団的自衛権の見直しのみならず、軍事的措置を伴う国連の集団的安全保障へのわが国の関わり方の再検討やわが国に対する武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対する対処なども提言しているが、拙稿では紙面の都合上集団的自衛権に限定して安保法制懇の報告書を検討してみたい。

2 集団的自衛権の限定的行使の容認
 報告書は、従来の政府見解を「集団的自衛権を行使できなくても独力でわが国の国家及び国民の安全を本当に確保できるのか、ということについて詳細な論証を怠ってきた」と批判し、「今日の安全保障環境を考えるとき、集団的自衛権の方が当然に個別的自衛権より危険だという見方は、抑止という安全保障上の基本観念を無視し」たものであると論じ、これまでの政府見解(自衛のための措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきであり、その必要最小限度の中に個別的自衛権は含まれるが、集団的自衛権は含まれないとする見解)は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとしており、この点で不適当な見解であると断じている。
 こうした認識の下に、報告書は必要最小限度の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈すべきであるとして、具体的には「わが国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態がわが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、わが国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請または同意を得て、必要最小限の実力を行使して、この攻撃の排除に参加し、国際の平和および安全の維持・回復に貢献することができるとすべきである」と述べている。また、報告書は、そのような事態に該当するかどうかについては、わが国への直接攻撃に結びつく蓋然性が高いか、日米同盟の信頼が著しく傷つきその抑止力が大きく損なわれ得るか、国際秩序そのものが大きく揺らぎ得るか、国民の生命や権利が著しく害されるか、その他わが国へ深刻な影響がおよび得るかといった諸点を政府が総合的に勘案しつつ責任を持って判断すべきであるとしている。
 今回の報告書は第一次報告書(平成20年6月)の4類型(集団的自衛権にかかわるものは、日本近海の公海上で共同訓練中のアメリカの艦船が攻撃された場合及びアメリカに向かって発射された弾道ミサイルが日本上空を通過した場合の2類型)に加えて、新たに6事例を追加しているが、集団的自衛権の行使にかかわるものとしては、事例1(わが国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃の排除等)及び事例2(米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援)を具体例として挙げて、憲法解釈の見直しを求めている。
 なお、報告書は集団的自衛権の行使を認めれば、果てしなく米国の戦争に巻き込まれるという批判に対しては、集団的自衛権の行使は権利であって義務ではないのであるから、その行使はわが国が主体的に判断すべきであり、憲法解釈上地理的限定を設けることは適当ではないとしている。

3 集団的自衛権の見直し提言の意義
 報告は、憲法制定の経緯や政府見解の変遷、砂川事件最高裁大法廷判決などを踏まえた上で、9条2項は,第1項に武力による威嚇や武力の行使を「国際紛争を解決する手段」として放棄すると定めたことを受けた規定であり、したがって、わが国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使は禁止されているが、それ以外の個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解するべきとしている。
 こうした見直し提言に対して、依然として法的安定性を害するとか立憲主義に反するとかの批判が一部でなされ、正面から憲法改正を行うべきではないかとの異論が出されている。
 たしかに、憲法に不備があれば改正するのが本来の在り方ではあるが、早急な改正の難しい現状においては明文で禁止されていなければ、解釈変更で新しい情況に迅速かつ適切に対応しようとすることは、決して不当なことではない。現に、これまでも政府は戦力などをめぐる定義において何度も解釈の変更を行ってきており、そのために法的安定性や立憲主義が害されたという話は寡聞にして知らない。また、解釈変更ではなく憲法改正を行うべきだと主張する者は、その大半が改正に反対している者であることを考えると、極めて不誠実かつ無責任な主張と言わざるを得ない。提言が指摘するように、国家を含めた組織は外界の変化に対応して自己変革をしていかなければ生き残れない以上、ある時点で採用された憲法解釈が現在の時点においては不都合を齎している場合には、その新たな変化に対応できるように自己変革をしなければならないのは当然であり、ましてこれが国家の安全・存続に関する事柄である場合には、一層その必要性は高いと言わなければならない。憲法9条には自衛権に関する規定はなく、ましてや個別的・集団的自衛権の区別を想定していないが、自衛権は否定されていないとする解釈が一般的である以上、自衛権の中に集団的自衛権も包含して理解する方が素直な解釈であり、これまでの政府解釈は特殊な時代背景の中で便宜的に採用された解釈であり、これを見直すことに何ら問題はない。
 突き詰めれば、自国の防衛を個別的自衛権の行使のみで行うのか、集団的自衛権の行使も併用するのかは、政策の選択の問題であって、後者を選択したからといって憲法違反の問題が起こることにはならない。そして、わが国が現在置かれている東アジアの厳しい軍事情勢を考えれば、後者の選択肢しか残されていないこともこれまた自明のことであろう。

4 求められる政府の迅速な対応
 この報告書を受け取った安倍首相は、集団的自衛権の容認の提言については賛意を表明し、立法にあたり憲法解釈の変更が必要ならば、与党協議に基づき改正の基本的方向を閣議決定し、順次立法化していくと語っている。報告書では具体的事例としては取り上げていないが、もっとも喫緊の事例は尖閣諸島をめぐるケースであって、例えば、尖閣防衛のために来航した米艦が攻撃された場合に、これを自衛隊が集団的自衛権の行使に該当することを理由に援護しなければ、たちまちに日米同盟が瓦解することは必至であろう。こうした事態を防ぐために、新規立法やあるいは自衛隊法や関連法規の改正をすみやかに行い、より日米同盟の強化に努めなければならない。
 なお、安倍首相は報告書のもう一つの柱ともいうべき、国連安保理決議に基づく集団的安全保障への参加などの提言に対しては、海外での武力行使にあたり政府として採用できないとしているが疑問である。憲法は国策の手段としての武力の行使を禁止しているが、国策の遂行ではない国際の平和・秩序の維持・安定のための自衛隊の活動に神学的な「武力行使との一体化論」を適用し、その行動に足枷をはめることは問題であり、より現実的な対応を強く求めたい。
 今回の第2次報告書及びそれに対する与党・内閣の対応は戦後の我が国の防衛政策の転換の分水嶺とも評すべき重大な意義を持っている。このことは、国民個々人が自国の平和・安全に対して一定の責任を果たすことを求めるものであり、現状から目を背け、戦争にまきこまれるという遁辞を弄して、他人任せで偸安の夢をむさぼることはもはや許されない時代が到来したことを意味している。最後に次のマキアヴェリの言葉で、本稿の結びとしよう。「私はものごとを曖昧にしておくということが国家活動にとって害毒を流すものであり、わがフィレンツェ共和国に災厄と屈辱を与えてきたことを幾度となく思い知らされてきたのであった。きわめて難しい問題で、しかも英断をもってこれを決定しなければならないときに、優柔不断な人物がこれを評議して決定を下せば、かならずといってよいほど曖昧で役に立たない結論しか出てこないものである。(中略)特に友好国の援助のために決定を下さなければならないときには、なおさらのことである。というのは、この決定が延びてしまうと、相手を救えないどころか、こちらの身の破滅ともなるからである」(マキアヴェリ「政略論」)。
 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しが年末に迫っている情況において、与党協議を加速させ、夏ごろには憲法解釈の変更を閣議決定しなければ、マキアヴェリのいう如く、相手を救えないどころか、こちらの身の破滅になるであろう。安倍政権の不退転の英断を強く期待したい。(了)

ホームへ戻る