日本よ、毅然たる本物の国家であれ

政策提言委員・前陸上自衛隊東部方面総監  渡部悦和

繰り返される事態
 予想されていた事態が再び起こってしまった。イスラム国(IS: Islamic Stateイスラム原理主義グループの一つ)は、20日、2人の日本人を拘束していることを公表し、彼らを救いたければ72時間以内に2億ドルを支払うよう警告した。もしも支払われなければ「このナイフがお前たちの悪夢となるだろう」と殺害を予告した。このイスラム国は、ヘーゲル国防長官が表現したように、「巧みな戦略と戦術上の軍事能力などこれまでに見たどの組織よりも洗練され、資金も豊富で、単なるテロ組織を超えた存在」であり、現在最も残忍で実力のあるイスラム原理主義組織である。
 そしてイスラム国に拘束されている日本人2人は、湯川さんと後藤さんとみられ、いずれもシリアに入ってからイスラム国に拘束されたと思われる。イスラム国は2人を拘束してから、彼らを利用する絶好のタイミングを模索していたのであろう。安倍首相が中東を歴訪中、エジプトで対イスラム国対策費2億ドルを含む中東安定化支援策を発表し、その後イスラエルのエルサレムに滞在中のタイミングであった。絶好のタイミングを狙ったイスラム国のしたたかな判断であった。
 安倍首相は、イスラム国の声明に対して「人命を盾にとって脅迫することは許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚える。2人の日本人を直ちに解放するよう強く要求する」、「国際社会は断固としてテロに屈せず、協力して対応していく必要がある」、「人命を第一に考え、各国の協力も得ながら情報収集する」と述べた。つまり、「人命第一」と「断固としてテロには屈しない」という両立がなかなか難しい方針を示したのである。
 一方、日本のマスコミは、多くの時間を割いてこの事件を報道し、政治家も本事件に対し多くのコメントをしている。これら一連の動きをみていると、2004年に自衛隊のイラク派遣を撤回させようとして発生した日本人人質事件を思いだす。当時も多くの日本のマスコミや政治家がトンチンカンなコメントを出していた。歴史は繰り返されているという思いがするが、本稿では、この事件に対していかなる態度を国家として個人として取るべきかを中心に記述する。

国家として毅然とした態度を示せ
 我が国にとって最も大切なことは、この種の卑劣な犯罪行為に対しては毅然たる態度を取ることである。決して身代金を支払うべきではない。断固拒否すべきである。世界中が日本政府の一挙手一投足を見ている。ここでイスラム国の要求に屈してしまえば、我が国は世界の嘲笑の的になる。そして、一度人質に対し身代金を支払ってしまうと、世界中で日本人が人質になる事案が多発することになる。日本はテロに弱い国であると思われてはいけない。米国と英国は、イスラム国の要求を断固として拒絶した。絶対にイスラム国の思い通りになってはいけない。今問われていることは、極めて残虐な行為を繰り返し、多くの人々を不幸にしているイスラム国などのテロ集団に対し、毅然たる態度を取れるか否かである。安倍首相は、「人命第一に政府全体として全力を尽くす考えだ。」としながらも、「国際社会は断固としてテロに屈せずに対応していく必要がある。」と主張している。安倍首相には毅然たる態度を期待したい。
 野党や一部マスコミは、「日本が紛争解決などに深くかかわれば、日本人がテロなどの犠牲になる」と安倍首相の積極的平和主義を批判している。この種の批判がいかに国際社会の中で非常識であるかを理解すべきである。日本は世界第3位の経済大国である。世界の諸問題の解決に日本が何も貢献しないという態度は国際社会の中では通用しないのである。「日本が紛争解決などに深くかかわれば、日本人がテロなどの犠牲になる」という論理は、「自衛隊がいるから戦争が起こるのである」という異常な論理に通じるものがある。

日本人は世界の現実を直視すべきである
 多くの日本人は、今回の事件を通して、世界を席巻するイスラム原理主義の脅威が我が国と無縁ではないことを認識したと思う。特にイスラム国が支配する地域に入ることがどれほど危険なことであるか、世界で最も治安が安定している日本とは全く違う地域が世界には存在すること、そして、イスラム国の様に過激で残忍な悪魔のような集団が存在することを今一度認識すべきであろう。悪意に満ち満ちた世界もあることを認識すべきであろう。この観点から考えると今回拘束されている2人にはかなりの違いがあることが分かる。
 フリージャーナリストの後藤さんは、残されたビデオの中で「(シリアで何があったとしても)私はシリアの人々を恨まない。責任は私自身にある」と述べていて、ある程度の覚悟をしてシリアに入ったことが分かる。自らの行動の責任は自らにあり、誰のせいでもないのである。自己責任なのである。自ら信念をもってイスラム国が支配する地域に行くのであれば、死をも覚悟して行動することは当然である。
 一方、湯川さんの行動は私には到底理解できない。軍隊での経験もないにもかかわらず、民間軍事会社を設立し(実際には、ほとんど実体がないと思われる)、軍事的な経験を積みたくてシリアに入ったらしい。イスラム国が支配する地域がいかに危険な地域であるか全く理解していない。その発想と行動は余りにも軽い。スリッパをはいてエベレストに登るようなものである。過激思想が渦巻く厳しい現実がそこにあることを深刻に理解する必要がある。ゲームで敵と戦うバーチャルな世界とは全く違った、極めて厳しい現実の世界が存在することを認識すべきである。
 私が36年間の自衛隊生活で得た教訓は、「我々は覚悟して人生を生きなければいけない」ということである。生きていると多くの困難に直面するであろう。その厳しい現実から逃避したいと思うこともあるであろう。しかし、逃避する世界は日本とは比較にならない厳しい世界なのである。自らの行動に対しては自らが責任をとることが当たり前である。今回の事案は、余りにも現実離れした思いを抱き行動する日本人に警告を発しているのだ。

イスラム国への対処
 コロンビア大学教授でコンサルティング会社ユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマーが提示した世界秩序がGゼロである。「日米欧など主要7カ国で構成するG7も、G7に新興国を加えたG20も機能しない、世界を主導する国のない世界」をGゼロという。つまりGゼロとは世界の諸問題を解決する警察官がいない世界である。ブレマーの最近の発言によると、Gゼロの状態が更に深化し世界中に混乱が広がっているという。確かに、フランスでイスラム国の影響を受けたイスラム原理主義者によるテロが発生し、パリでは100万人以上の人達が過激思想に反対する行進を行った。世界中でイスラム国と同様なボコハラムやアルシャバブなどのイスラム原理主義グループが問題を起こしている。今、喫緊の課題になっているのはこれらの残忍な原理主義グループに如何に対処するかである。
 ブレマーがGゼロの世界であると言ったとしても、米国を中心とした有志連合(coalition)がイスラム国に対処している。100%のGゼロの世界ではないのである。米国は、2001年のNY同時多発テロ以降、13年以上にわたり対テロ戦争を継続してきた。オバマ大統領は、イラクから米軍を撤退(2011・12・18)させ、アフガニスタンにおける戦闘任務の終了を宣言し、大多数の米軍をアフガニスタンから撤退させた。しかし、今やイスラム国に対する対テロ戦争が喫緊の問題となっている。
 オバマ大統領は、昨年9月10日の 「イスラム国に関する大統領声明」によりイスラム国を撃破することを宣言し、そのために以下の様な戦略を発表した。
 @空爆をイラクのみならずシリア領内にも拡大する
 A地上でイスラム国と戦うイラク軍、クルド軍、シリアの反政府勢力への支援(武器供与・情報・訓練支援)を拡大する
 Bイスラム国の攻撃を防ぐために対テロ能力を強化する
 Cイスラム国のために避難を余儀なくされた人々に対する人道援助を拡大する
 D以上の4つの項目のために、広範な対イスラム国有志連合を形成する。
以上の5原則に基づいてイスラム国に対する空爆をイラク及びシリアにおいて実施している。しかし、空爆のみではイスラム国を打倒することはできず、地上部隊の作戦との連携が不可欠であるが、オバマ大統領は米地上軍の投入を否定している。そのためにイラク軍、クルド族の部隊などによる地上作戦との連携が重要となる。つまり、イスラム国に対し米国単独では対応できないのである。そのため、多くの同盟国及び友好国と有志連合を形成してイスラム国に対処することが不可欠になる。我が国も従来通り、避難民に対する人道的支援を中心として有志連合と連携した活動を継続すべきである。その我が国の貢献を分断しようとするのが今回の2人の人質を盾にした分断工作である。イスラム国の狙いを断固拒否することが大切である。

最終的にはそれぞれの国と国民の自己責任
 その国の国民以外誰もその国の将来に最終的な責任を負うことはできない。脆弱な諸国(fragile states)の再建は困難であるが、当該国以外の他国がその再建を一方的に担うことはできない。これが13年間続いた米国の対テロ戦争の結論である。
 イラク戦争の失敗により、イラクの統治はイラク人に任せる、他のいかなる外国人もイラクの統治に関して正当な権利を持ちえないことを多くの米国人は認識した。イラクの統治の責任はイラク人にあるのと同様に、アフガニスタンの統治はアフガニスタン人に任せる、シリアの統治はシリアに任せる、他のいかなる外国人も正当な統治の権利を持っていないし、それを担うこともできない。
 米国のイラクやアフガニスタンでの活動は上手くいかなかった。上手くいかないのは当たり前である。イラク人やアフガ二スタン人に自国を統治しようという当事者意識が欠如し、汚職がはびこる中で外国の軍隊がどんなに頑張ってもその努力は徒労に終わる運命にあったのである。イスラム国などのイスラム原理主義グループの脅威を受けている国々の自己責任が本質である。彼らに自己責任の観念がないと、有志連合の作戦も上手くいかないであろう。

我が国や米国の責任
 ハンチントンの指摘である「文明の衝突は世界平和の最大の脅威であり、文明に依拠した国際秩序こそが世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置だ」という指摘を今一度思い起こしたい。世界とイスラム原理主義との戦いは文明の衝突の一例である。我々には、異文明例えばイスラム教への理解、異文化を認める寛容さ・度量が求められている。特に、世界各国の指導者にはそれが必須である。視野の狭い独善的なナショナリズムや排外主義は紛争の原因であり、避けるべきである。しかし、他の主義主張に対する敵意をむき出しにするイスラム国の様な残忍な集団を認めるわけにはいかない。排除すべきである。彼らが装備する武器、部隊運用の巧みさなどを考慮するとこちらも武力で対処せざるを得ないのも現実である。
オバマ大統領は、2014年5月にウェスト・ポイントにおいて、「米国が世界においてリードしなければならない。米国がやらなければ、他に世界をリードする国はない」と発言し、「米国が世界をリードするか否かではなくて、いかに世界をリードするかが問われている。米国の平和と繁栄を確実にするだけではなく、平和と繁栄を地球全体に拡散しなければいけない」、「米国は、現に無くてはならない国家であるし、今後もそうあり続ける。過去100年間そうであったが、今後の100年間も同様である」と発言したのである。字句だけをみれば、米国が再び世界の警察官としての役割を果たすという勇ましい宣言である。
厳しい状況にある我が国としても、米国をはじめとする有志連合と連携しながら、安倍首相の積極的平和主義に基づいて世界の平和と安定のために貢献すべきであろう。積極的平和主義が言葉だけではなく、実質を伴っていることを今この危機の時にこそ行動で示すべきである。そして、我々国民も、甘えた考えを捨て、世界の厳しい現実を直視した見識ある行動をとるべきである。


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