日本人のテロ犠牲者は忘れられたのか?
致命傷になりかねない「健忘症」と「危機感」の欠如

政策提言委員・ジャーナリスト・海外セキュリティコンサルタント
 丸谷元人

 2013年1月にアルジェリアで発生したテロ事件で、10人もの日揮社員が殺害されて以降、わずか2年と少しの間に、新たに2件のテロ事件において複数の日本人が命を落としている。
 斬首された写真まで公開された湯川遥菜さんと後藤健二さんの事件は、日本人に大きな衝撃を与えたし、これまで比較的安全とされていたチュニジアにおける博物館襲撃事件では、3人の日本人女性が犠牲になっている。過去の歴史において、わずか2年と少しの間にそれぞれ別の国で発生した3件ものテロ事件で、15人もの日本人が命を奪われた事などあっただろうか。
 にも関わらず、これらの事件は、すでに多くの人々の中では風化しつつある。日揮の事件が発生した直後は、海外に展開する多くの日本企業が、セキュリティ体制の見直しを行おうとして積極的に動き回ったが、セキュリティ業界の関係者らは、「テロ事件から半年も経つと、企業の反応は以前とほとんど変わらないほどに鈍くなってしまった」と口を揃える。つまり、先見の明があり、つねに危機感を有している一部の担当者以外の多くは、企業の上層部も含め、一斉に「喉元過ぎて熱さを忘れ」てしまったのだ。
 この事は、政府もまた同じであり、テロ事件が起こる度に「情報収集力を強化せよ」とか「在外公館に対する防衛駐在官の数を増やせ」という議論になるが、それらもやがては忘れ去られてしまう。今、国会では安保法制に向けた議論が盛んになっているが、そんな法律的な問題以前に、こんな日本人の「健忘症」こそが真っ先に問題視されるべきではないだろうか。
 3人もの日本人女性が犠牲になったチュニジアの事件では、テロの背景や命を落とした被害者のことよりも、負傷した女性の1人に対する非難が大きな話題となった。この女性が陸上自衛隊の三等陸佐(医官)であり、しかも、彼女が海外旅行に際して自衛官が出さねばならない届出を出していなかったこと、そして後になって「軍人らしからぬ」手記を出したことが大きく問題視されたのだ。
 事件直後、当該医官は事件の様子を実に克明に話していたものの、一方では、まだ襲撃によるパニック状態でもあった。そんな彼女に向けて「自衛官のくせに情けない」といった声も上がり、前述の「渡航届け不提出問題」もあって、一気に当該医官に対するバッシングが過熱したわけだ。その結果、当該医官は帰国後すぐに自衛隊を依願退職したようである。
 しかし不思議なのは、このチュニジアにおける一大テロ事件については、現地で命を落とした3人の犠牲者に関しては、その名前や年齢を含めてほとんど興味を持たれることもなく、また、この事件の背景にある、中東やアフリカの資源権益を巡る各国の凄まじい暗闘に関しても、多くのメディアや国民が真剣に知ろうとしなかったことである。この襲撃に参加した武装集団の構成員の多くが、実は「2月17日殉教者旅団」というリビアの武装組織出身であり、同組織はかつて、米国務省の依頼を受けて現地の米国公館の警備まで行っていたという驚くべき事実など、まったく報道もされない。
 つまり、あのような一大テロ事件が、「無断で海外旅行をし、銃撃されてパニックに陥った情けない陸自医官」に対する非難にすり替わってしまったのである。ここに日本人の「内向きさ」があるが、これは問題を矮小化することで、厳しい現実から逃避するためには極めて効果的な手法だと言える。
 確かに彼女が出した手記には、想像さえしなかった凄まじい襲撃を受けた一個の被害者としての思いが綴られており、精強であるべき三等陸佐(陸軍少佐)の書いたものとは思えない、とする気持ちも判らないではない。国を守る幹部自衛官に対しては、「一般人よりはるかに強靭な精神を持っている(はず)」とする憧れや期待を多くの国民が抱いているからだ。
 しかし、である。そこにはもう少しの「被害者に対する思いやり」があってしかるべきではないかとも思う。なぜなら、彼女はその渡航手続きに瑕疵があったとはいえ、自衛隊の実任務としてではなく、完全なプライベート旅行でチュニジアに行ったからである。そして自分自身だけではなく、一緒に行った母親も手や首を撃たれている。そんな彼女らだけでなく、その周りでも次々と人が狙い撃ちにされたこの事件は、最終的には死者22人、負傷者42人を出す悲惨な結末を迎えたのである。
 ちなみに、もし私が防衛省の側にあったら、あの負傷した陸自医官の退職など決して認めず、貴重な経験をしたその行動心理を徹底的に研究しようと試みるだろう。なぜなら、実際に銃で乱射された中で、自らも負傷し、しかもまったく抵抗できない状態に陥った人間が、何を考え、どういう行動をし、またいかなる反応を見せるのかという問題は、その創立以来、実際の戦闘を行った事のない自衛隊にとっては、貴重な経験となるはずだからである。
 特に、中東やアフリカを含む広大な地域における邦人救出が検討されている現在、同医官がくぐり抜けた地獄は、今後海外における展開が一層想定されるであろう自衛官の「メンタルヘルス対策」においても、貴重な考察を与えるに違いない。
 南太平洋の治安の悪い地域で生活し、またイスラム過激派や強力な武装民兵集団が跋扈するような地域でセキュリティ対策の仕事をした人間として言わせていただくなら、実際に銃で撃たれるというのは本当に怖いもので、なかなか慣れるという事はない。それは軍人であろうが、一般人であろうが関係ない。
 個人的に親しくしているある国の陸軍将校は、世界有数の特殊部隊に所属し、これまで東南アジアをはじめとする各地の戦場で実際に幾度もの戦闘を重ね、何人もの戦友を失ったという歴戦の強者であるが、どんなに訓練を受け、あるいは数度の戦闘に生き残った兵士でも、不意打ちを食らってしまえば、なかなかパニック状態から脱するのは難しい、と言っていた。つまり、不意の銃撃を受けても平気なのは、ハリウッド映画の中のスター俳優くらいのものなのだ。
 斯く言う私も海外において一度ならず撃たれた経験がある(幸いにも身体には当たらなかった)が、恐怖心は後になって当時を振り返った時の方が増大するもので、私の場合は、恥ずかしながら以前よりもはるかに「恐がり」になってしまった。
 2年ほど前も、自宅で仕事をしていた際、家の反対側で新しい住宅を建設していた作業員らが、自動の釘打ち機で「パン、パン」と音を立てたのであるが、私はそれを「銃声」だと勘違いしてとっさにテーブルの下に隠れ、それを見ていた家内に笑われるという事があった。普段は偉そうにしている一家の亭主としてあるまじき、今から考えても赤面すべき振る舞いを晒してしまったわけであるが、その時は全身が一瞬で凍り付き、鼓動が一気に激しくなったものだった。
 そんな危険地帯を歩いたことさえなく、銃で撃たれたり、周囲の人間がバタバタと殺されたりするような極限状況に陥った経験もない人々が、実際に命を落とした方々のことさえ忘れてしまい、運が悪ければ自らだっていつかどこかで巻き込まれかねないテロ事件の本質に目を向けようとしないばかりか、不幸にもそれに直面した一人の女性に対し、みなで寄ってたかって非難をするというのは、あまり男らしい作法とはいえないと思うが、いかがだろうか。少なくとも、そんな無責任な姿勢しか持ち得ない国民が、「テロの脅威」というものに本当に立ち向かっていけるとは思えない。
 今、日本は、イスラム国からも名指しで攻撃のターゲットにされている。それどころか、アメリカ国務省のホームページにあるイスラム国を攻撃するための「有志連合」のリストには、我々国民が預かり知らぬ間に「日本」という名前がしっかりと刻まれているのだ。つまり、今や我々はイスラム国を完全に「敵」と見做し、先方もこちらを「敵」と認識している、という事である。そんな相手から攻撃を受けてから「いや、知りませんでした」では済むはずもない。
 そういえば最近、国土交通省の担当者が、国際空港におけるテロ対策などの重要資料などが入ったカバンを電車内で盗まれたという事件があったが、上下左右ともに、現実を見つめる「危機感」や「覚悟」があまりに足りないと危惧する次第である。





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