長期化する東シナ海の米中対峙
−互いに引き下がれず決定的行動をとれない米中両国―

政策提言委員  矢野義昭

 今年10月18日、米政府が東南アジア諸国に米艦艇派遣の方針を伝えたと報じられた。米国は、敢えて艦隊行動をとらず、イージス駆逐艦「ラッセン」1隻を、中国が領海と称する、スビ礁の12カイリ以内で航行させた。
 スビ礁は、滑走路が建設中だが小規模なものであり、中国にとり南沙諸島の岩礁の中でも比較的価値の低い岩礁である。また、「ラッセン」には、公平を期するため、ベトナムやフィリピンの島嶼の12カイリ内も航行させている。中国側を過度に刺激することなく、エスカレーションを回避するために慎重に選択された行動と言える。
 半面、イージス駆逐艦は対ミサイル、対空、対潜、対水上のいずれの能力も保有しており、各種の脅威に対処できる。また、公表されなかったものの、掩護のために攻撃型原潜が南シナ海に展開され、万一に備えるとともに抑止のため、中国側にわかる形でフィリピン東方の太平洋上には艦隊主力が展開し、グアムではステルス爆撃機が待機していたことであろう。横須賀、横田では在日米軍の情報、指揮統制通信システムがフル稼働し、日米間でも緊密な情報交換が行われたとみられる。
 これらの米側の一連の対応行動は、接近阻止/領域拒否(A2/AD)戦略への対抗戦略として米側が打ち出しているエアーシーバトル構想の一端を垣間見させるものであったと言えるかもしれない。米側の動向を注視していた中国側には、米側の実力が伝わったであろう。能力と意思を的確に相手に伝えることは、抑止戦略の基本である。
 今回は米側の抑止が効果を発揮した。中国側は反発を強めたものの、ミサイル駆逐艦と巡視艦各1隻が「監視、追尾、警告」したに止まった。また今回の南シナ海での動きは東シナ海、特に尖閣問題にも影響を与えたとみられる。尖閣問題で「中国は武力衝突を極力避けるべきだ」との、習主席側近の劉亜洲上将による論評が10月に公表されている。
 10月28日ケリー国務長官は、「緊張の緩和と沈静化を望む」と表明し、11月に入り、米中間では4日のASEAN拡大国防相会議などの場で緊張緩和のための対話が始まっている。
 今後の対応について、米国防当局者は11月2日、南シナ海の中国人工島周辺に米艦を派遣させる「航行の自由作戦」に関し、「3カ月に2回か、やや多い頻度」で実施することになるとの見方を示した(『時事ドットコム』2015年11月3日)。
 中国が主張する、南沙諸島での埋め立て岩礁周辺海域の領海を認めないという意思を示すための米側の艦艇派遣は、今後もかなりの長期にわたり継続されるとみられる。
 フィリピンへの米軍基地の再配置、米比、米越間の共同演習の強化、比越その他のASEAN諸国への米艦隊訪問、これら諸国の海空軍力増強支援、武器輸出、共同警戒監視と情報交換などの、軍事面での域内国との幅広い連携強化策も、今後とられるであろう。
 これらの一連の米側の動きに対し、中国側として打てる対策は、ここで一旦事態を鎮静化させることしかないであろう。習近平指導部としては、中国経済の不調が伝えられる中、対外的緊張を高めるよりも、内政の充実に注力せざるを得ない状況にある。対外的にも、ASEAN諸国を対中警戒の方向で結束させ、外交的に孤立する結果になるとすれば、大きなマイナスになる。
 しかし、習近平国家主席は、「中華民族の偉大な復興」と「富強大国」を掲げ、軍に対し党の指導の下、「強軍の魂」を堅持し、領域の無欠を守り抜くことを要求してきた。習主席としては、最高指揮統帥権者としての威信維持の点からも、南沙諸島の施設を撤去あるいは放棄することは考えられないであろう。
 中国にとって南シナ海は、貿易と原油輸入のためのシーレーンとしても、原潜の展開海域としても死活的な重要性を持っている。この戦略的な重要性から見ても、米国などが力による南シナ海岩礁の施設撤去あるいは破壊を試みれば、中国は武力を行使してでも阻止しようとする可能性が高い。
 米側も、中国側との武力衝突のリスクを犯しても、撤去を強行しようとはしないであろう。その背景には、核と非核の各種ミサイル約500発により、南シナ海も東シナ海と同様に狙われているという、中国側のA2/AD戦略態勢がある。
 その結果、中国の南シナ海の岩礁支配も米艦艇の派遣も続き、米中両国は長期にわたり洋上で対峙することになると予想される。
 また習近平指導部は、当面は事態の沈静化を優先することになるが、戦力の劣勢を痛感し、今後一層軍備の増強近代化に力を入れ、捲土重来を期する可能性が高い。キューバ危機で屈辱をなめたソ連指導部が、その後軍備の増強近代化に国力を傾けたような事態が再来するかもしれない。その場合民生は犠牲にされ、内需は軍需により代替され、軍備が肥大化して膨張主義に走り、対外的な緊張が高まることになる。
 習近平指導部が国内経済の再建を優先し、国営企業の民営化などの構造改革、国民所得の向上と福利の増進などに努め、軍備拡大の抑制、対外融和政策をとるならば、近海の地域覇権を巡る対立は緩和され、海洋秩序も維持されるであろう。しかし、国内での少数民族、民主派等の弾圧強化から明らかなように、共産党独裁体制の維持に至上の価値を置いているとみられる習近平政権に、そのようなシナリオの実現を期待するのは望み薄であろう。



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