韓国における歴史歪曲の代価について

首都大学東京特任教授  鄭大均

「日帝強占期」の由来
 1910年、日本は大韓帝国(1897〜1910年)を併合、1945年までの35年間、この地を支配した。この35年間を、近年、韓国では「日帝強占期(イルチェカンジョムギ)」と呼ぶ。「日本帝国主義がわが国を強制的に占領した時期」の意である。以前には「日帝時代」や「植民地時代」の呼称があり、更に前には「倭政時代」や「日政時代」の呼称もあった。それが今では、韓国のワープロで「日帝時代」とか「植民地時代」と打つと、自動的に「日帝強占期」に転換されたり、赤い下線が表示される。それは政治的に正しくない言葉ですよという警告である。
 これではまるでジョージ・オーウェルの『1984年』みたいだなと思うが、しかしそれが北朝鮮の歴史観の反映であることを知ったのは最近のことである。ここには韓国における反日主義の複雑さがあり、そんなことにも気が付かないまま、「日帝強占期」の呼称はけしからんなどと考えていた自分の無知を思い知らされる。
 端的にいえば、「日帝強占期」とは、北朝鮮の「人民民主主義的」な史観によって眺められた韓国史の時代区分であり、「日帝強占期」の後にくるのは「美帝強占期」である。つまり、今日の韓国はアメリカ帝国主義の占領下にあるというのが北朝鮮的な韓国史への眺めということになるが、この呼称を公的に使うものはいない。そんなことをしたら、「日帝強占期」の呼称が北朝鮮流の時代区分であることがすぐにばれてしまう。
 とまれ、これは韓国の教育やメディアにおける北朝鮮の影響力を物語る事例であり、斯くして、今日の韓国人は日韓併合期をナチス・ドイツによるフランス占領のごとき「軽さ」で考えるとともに、その関心はますます戦時期の「慰安婦」や「強制徴用」の問題に集中、韓国人は日本人の戦争にかり出された一方的被害者であるという意識ばかりが刷り込まれる昨今である。
 だが、「日帝強占期」の呼称は歴史を歪めるものである。そもそもこの時代の朝鮮は日本帝国に編入されていたのであって、占領状態にあったのではない。ナチス・ドイツによるフランス占領が4年間に過ぎなかったとしたら、日本による朝鮮支配は35年間も続いたのであり、韓国が外交権を失い、日本の保護国に転落した1905年から数えると、それは更に長くなる。またナチス・ドイツによるフランス占領期のフランスにはヴィシー政権があり、独立が維持されていたとすると、この時期の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、日本は自らの法や制度や言語を朝鮮の地に移植し、朝鮮人の日本人化を試みた。だから、レジスタンスや連合軍によって解放されたとき、フランスが4年前の国家と社会体制に復帰することができたのに対し、連合軍の勝利によって解放された朝鮮の地には、復帰するにも、大韓帝国の王朝や社会はもはや存在していなかった。こうしてみると、「日帝強占期」の呼称が韓国史の歪曲であるのは明らかであろう。それは韓国人の歴史観を益々空想的なものにし、自己責任の精神から乖離したものに仕立てあげているのである。
 だが、これは韓国という国を部外者の目で眺めたときの議論である。その内側にいるものからすれば、日本による朝鮮統治とは違法であり、無効であり、従って我々が日本帝国の一員であったことはないということになる。韓国憲法の前文には「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓民国は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し」という一文がある。つまり今日の大韓民国は大韓帝国の正統性を継承する国家であって、日韓併合の時代など、存在しなかったということである。「日帝強占期」の呼称はこの憲法の精神と折り合いがよい。
 しかし、それでは現実との間に辻褄の合わないことが起きてしまう。例えば1936年、ベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎(ソンキジョン)を、時の東亜日報はその胸にある日章旗を太極旗に換えて報道し、東亜日報はそれゆえ総督府から厳しい処罰を受けた。いわゆる「日章旗抹消事件」であるが、これは今でも勇気ある行動として称賛されている。また戦後の韓国には、ベルリンにあるオリンピック施設に赴き、孫選手の国籍を日本から韓国に書き換えようとした国会議員もいた。国家は消えてなくなることだってある。韓国はそれを経験したのだから、屈辱的であっても、それを認めた上で歴史を語ればよいと思うのだが、今日の韓国に見てとれるのは、あの時代に「韓国」や「朝鮮」という国家が世界地図から消えたことを認知したくないという感情や態度に寧ろ正統性を付与するという態度である。

二つの欲望
 かつて人類学者のクリフォード・ギアーツが言っていたことだが、第二次世界大戦以後に独立した「新興国」に生きる人々には、二つの欲望に同時に駆り立てられる状況があって、両者の間に良い緊張関係が維持されるとき、国家は発展の推進力を得るが、二つの欲望はしばしば対立し、国家の発展を妨げる最大の障害になるものでもある。
 一方が国際政治の舞台で一人前の存在として認められたいとか影響力を持つ国になりたいという欲望であるとしたら、他方は有能で活力ある現代国家を建設したいという欲望であり、前者が「自尊」を動機とするなら、後者は国民生活を向上させ、より良い政治体制を構築し、社会正義を拡大したいという実用的な欲望である。
 「統合的革命」(『文化の解釈学』岩波現代選書所収)と題するこの論考で、ギアーツが念頭においていたのは多民族、多言語のアジア・アフリカ諸国であり、それらの国々において、人々の自己意識がともすれば血や人種や地域、宗教といった原初的(primordial)な紐帯の感覚と結びつきやすいものになることはよく知られている。そしてこの点で、韓国は、「新興国」の中では例外的に民族的同質性や言語的同質性を特徴とする国であり、また二つの欲望間によい緊張関係が維持されていた国でもあった。
 その韓国に原初的紐帯の感覚が台頭するようになったのは80年代後半の民主化以後のことであろうか。この時期は韓国が「反共ナショナリズム」の国から「民族ナショナリズム」の国へとその国家アイデンティティを変容させた時期であり、それをもたらしたのは民主化の体験であろう。「反共ナショナリズム」が北朝鮮との異質性を重視する態度であるとしたら、「民族ナショナリズム」は寧ろその同質性を重視する。「反共ナショナリズム」が北に対する南の優越性、つまり民主主義や思想・信条の自由や市場経済を重視するとしたら、「民族ナショナリズム」は「統一」を重視する態度で、金日成の「抗日武装闘争」を評価するとか、アメリカに依存する自国の正統性に疑念を抱くというものもいる。

「民族ナショナリズム」の国へ
 「反共ナショナリズム」と「民族ナショナリズム」のせめぎあいは韓国の歴史であり、それは大まかに親米・反北朝鮮の保守派と反米・親北朝鮮の進歩派のカテゴリーに重なるが、長い間優位の立場にあったのは「反共ナショナリズム」の側である。しかしこの時期にきて、変化が生じたのは何故なのか。故田中明氏が言うように、1948年以後の韓国において、「反共ナショナリズム」は「反共法」によって庇護されたイデオロギーであり、それは北朝鮮に対する脅威の感覚が健在の時代には安泰であったが、やがて北の脅威が減退すると、「反共ナショナリズム」は動員力を失ったということであろう。80年代後半は韓国が豊かな国、強い国になった時期である。民主化の過程で左翼解禁が進んだとき、その影響を受けた息子や娘たちの議論に対抗できる見解を親たちが準備していなかったという視点も重要であろう(田中明『韓国はなぜ北朝鮮に弱いのか』晩聲社、2004年)。
 93年大統領に就任した金泳三はその就任演説で、「いかなる同盟国、思想、理念よりも民族が重要である」と述べて「民族ナショナリズム」の国への転換の歌を歌った。これは「民族ナショナリズム国家宣言」とでも言うべきスピーチであったが、この政権の対北政策には実のところ矛盾が少なくない。その意味で、本格的な民族ナショナリズムの国への転換がなされたのは、その後の金大中政権(1998〜2003年)の時期と考えたほうがよい。今日の韓国に見てとれる、「同じ民族」である北の否定性には寛大であれという態度を国民に刷り込んだのは、この政権とそれを継承する盧武鉉政権(2003〜2008年)であった。学校教科書に「日帝強占期(イルチェカンジョムギ)」を挿入させたのも金大中政権のときである。
 その後の韓国に見てとれるのは、「民族ナショナリズム」という原初的感情に身を任せることを規範的とするような状況であるが、これは韓国にとって好ましいことなのだろうか。二つの理由で否である。第一に、原初的共同体を志向する「民族ナショナリズム」には、「反共ナショナリズム」の時代に韓国人が維持してきたナショナリズムに対するある種の自己抑制の態度が欠けているからであり、第二に、「民族ナショナリズム」の優勢は北朝鮮の国家犯罪や人権犯罪を幇助するからである。
 とはいっても、筆者は「反共ナショナリズム」の時代の韓国を単純に称賛しているわけではない。「反共ナショナリスト」の時代の韓国は軍人が跋扈する時代であり、「反共ナショナリズム」の教育には、一卵性双生児の片割れである北朝鮮を敵と思えと教えるような非道徳性があった。
 それでも、「反共ナショナリズム」には、韓国人のナショナリズムにある種のハンデの感覚を与え、その原初的感情が燃え盛ることを抑制することによって、「新興国」として出発した韓国が、合理的で活力ある現代国家として成長することを可能にした功績があるのだということは記憶されてよい。言い換えると、民族と国家を一致させようとする「民族ナショナリズム」には「新興国」をワナに陥れる危うさがある。韓国ナショナリズムがその民族分断というハンデ故に「半人前国家」としての欲求不満を味わったことには同情するとしても、韓国ナショナリズムはそれ故に原初的感情のフル稼働を断念せざるを得なかったのであり、それは韓国にとっては幸いなことであった。
 加えて言えば、「民族ナショナリズム」の優位という状況は、「反共ナショナリズム」の時代に維持されていた「反共」と「反日」の均衡を切り崩すものでもあった。「反共」には「反日」を抑制する機能があったのであり、「反共」が後退すると、それは「反日」の活性化を生みだし、日本との関係を葛藤多きものにすると同時に、この国を政治的に引き裂かれた国にしたのである。
 韓国は長い間、反日を標榜しつつも、活力ある現代国家建設のために日本をうまく利用してきた国であり、それはこの国が二つの欲望間の均衡を維持する秘訣でもあった。韓国は「反日的」という印象を与えながらも、その発展や繁栄に必要なモノやヒトや技術を日本から旺盛に取り入れていたのであり、それは「自尊の欲望」を抑止する力にもなっていたのである。

対日歴史戦の宣言
 「日帝強占期」の呼称が金大中政権時に教科書に登場したことは先に記したが、より重要なのは2005年3月の盧武鉉大統領による対日歴史戦(対日外交戦争)の宣言であろう。これは政府自らが反日を主導することを公言したもので、大統領は「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫こうとする(日本の)意図をこれ以上放置することはできない」と述べ、巨費を投じて東北アジア歴史財団を設置する一方、「竹島」や「慰安婦」をテーマに日本非難の外交戦を始め、それは現在の朴槿恵政権になって、より先鋭化している。
 2000年代といえば、対日歴史戦の前年、2004年3月に公布された「日帝強占下反民族行為真相糾明特別法」は近代法における「法の不遡及の禁止」の原則を簡単に放棄してみせた例であり、2011年の元従軍慰安婦の個人請求権放棄が違憲という憲法裁判所判決、更には2013年以後に相次ぐ「強制徴用工」に対する賠償金支払い判決は、「恨(ハン)解き(プリ)」という原初的感覚を近代法に融合させ、またそれを国際条約に優先させた例である。
 多くの新興国に見られるのは、多民族、多言語、多宗教という条件が人心の不一致を生み出し、それが「自尊の欲望」と「実用的欲望」間の乖離を生み出す要因になるという状況である。ギアーツが言うように、「一人前の存在として認められたいという自己主張と、現代的で活力あるものとして存在したいという意志は、それぞれ別の方向へ進みがちであり、新興国の政治過程の多くは、それらを何とか同じ方向に向けておこうとする努力を中心に回転している」のである。しかし韓国の場合は、その民族的同質性の故に人心の一致が生み出されやすく、それが反日という原初的紐帯の感覚の暴走を助けるのである。

同語反復の精神を
 近年、戦時期の朝鮮人の被害者性にまつわる韓国からの批判が繰り返されているのは何故か。その最も重要な要因は、彼らがかつては日本国民だったということを忘却しているという状況ではないかと筆者は考える。今日の韓国には、学校で教えられた「日帝強占期」の「悪意」や「悪政」が博物館や記念館に展示され、テレビで「再現」される過程で、ある種のリアリティを獲得するという状況があり、それは韓国人がかつて日本帝国の一員であったという記憶が国民的に忘却されてゆくにつれて、本質的な感情として語られるという状況がある。日本人が彼らの戦争に我々韓国人を「慰安婦」や「徴用工」として狩り出したのはけしからんという自他認識がそれで、それは国内的に有力な批判を受けることがないというだけではなく、国際社会においても違和感なく受け入れられることが多い故に、歯止めがきかないのである。このことに日本はどのように対処したらよいのだろうか。
 何よりも、日本政府はこの時代の戦争に朝鮮人は日本帝国の一員として参加していたのだということを繰り返し語る必要がある。戦時期には「内地人」も「朝鮮人」も戦争にかり出されていたのであり、従って、韓国人の被害者性を特権的に語る態度はおかしいのである。同語反復を日本人は嫌うかもしれないが、それをしなかったら、韓国人が問題に気が付くことはないし、アメリカ人やその他の人々が韓国の議論のおかしさに気が付くこともない。「慰安婦」という言葉を聞いたとき、アメリカ人が連想するのは日本人の戦争にかり出され、傷ついた朝鮮人女性のことであろう。しかし戦場には、それ以上の数の日本人慰安婦がいたのであり、朝鮮人慰安婦は「内地人」のみならず「朝鮮人」をも相手にしていたのである。
 しかしそうした議論を歴史戦のフロントにいる外務省の役人がきちんとやれるのかというと、そこには不安がある。彼らは知的で洞察力ある人間たちであろうが、それだけで韓国人と互角に戦えるわけではない。同じ秀才でも、韓国の役人たちには戦意の高さがあり、また日本との戦いは、国民やメディアによってバックアップされるとともに、人によっては、所属する教会の信徒たちの熱烈な祈祷に支えられている。
 日本側は明らかに劣勢であり、韓国による日本いじめはこれからも続くだろう。1965年の日韓基本条約とともに法的に解決済みとなっているはずの日韓請求権協定に対する見直しの議論も提起されるだろう。「戦後補償」問題の原型は、70年代から80年代にかけて日本で議論されたことで、1984年全斗煥大統領が来日したときには、日本による朝鮮統治が過酷な帝国主義的支配であったことを認める「国会決議」をすべきという主張もあった。それを推進した日本の勢力は健在であり、今、韓国の左派や市民運動と共闘して日本批判を実践しているのは彼らである。日本には韓国の主張に連帯する「友」がいるのに対し、日本が隣国にそのような「友」をもつことができないのも苦しいところである。
 それでも日本はいくつかのメッセージを韓国に伝える必要があると思う。第一に、日本による朝鮮統治が韓国人に屈辱の感情を与えているのは事実だとしても、戦後の韓国はその感情をバネにして復興を遂げ、豊かな国を作りあげたのであり、それに日本も協力したのである。これは、かつての侵略者と被侵略者が戦後に達成した類稀な成果と考えてよいのではないか。
 第二に、韓国側が見せてくれる無垢な被害者というアイデンティティは、韓国という国を益々明るい国にすると同時に益々陰影の欠けた国にしているのではないか。影の無い国は怖い。韓国はそれでも、一卵性双生児の片割れである北に比べると、陰影に満ちた国ではあるが、それでも明るくなりすぎたのは韓流ドラマだけではないだろう。歴史歪曲の代価は決して小さくないのである。


鄭大均(てい たいきん)
首都大学東京特任教授。1948年岩手県生。専門はエスニック研究、日韓関係。著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)。最近の編書に『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)がある。


 Ø JFSSレポートバックナンバー  

   こちらから



ホームへ戻る