年金記録漏出問題

元法務大臣   長勢 甚遠

 現在、安全保障法制が国会で議論されている。与他の大きな問題もある為か少し話題にならなくなったが、先月は年金機構の年金データの漏出問題で国会審議が止まるほどの大騒ぎだった。国民にとってはまたかという思いであるし深刻な事件である。
 この問題の原因について、先月の読売新聞に3人の有識者の見解が掲載されていた。うち2人はインターネット情報管理の在り方の不備などを指摘しておられ、それはその通りなのだろうと思ったが、そんな表面的な問題の底に別の問題があるのにと思った。掲載された意見のうち、東田氏(旧行政管理庁局長、現在大学教授)のものは旧社保庁体質が残っていることに問題があるというものであった。全く同感である。こういう関係者の誰もが知っていることだが野党勢力、労働組合、人権・女性運動にとって国民に知られたくないことが新聞に書かれるのは珍しい。
 しかし、この記事も抽象的に「旧社会保険庁体質」を批判しているだけで、一般には具体的に「旧社会保険庁体質」とは何のことかわからないであろう。いわゆる「役所体質」あるいは「役人体質」のこととしてしか理解されない危惧がある。「旧社会保険庁体質」とは、管理者の管理を離れた職員が管理者の管理から離れて労働組合支配のもとで勝手放題の業務執行を行うことである。これは旧社会保険庁において敗戦後の労働組合の労働強化、合理化反対の強大な権利闘争により定着した。こういうことは官公労運動の成果として中央・地方の官公庁、国鉄などで発生したことであるが、当局側の大変な努力により、職場秩序の改善が図られてきた。しかし、旧厚生省はこのような悪弊を放置し温存してきた。これが旧社会保険庁を巡る幾多の問題の主因である。旧社会保険庁は表向きの制度、体制とは関係なく運営されてきたのである。
 旧厚生省社会保険庁は各都道府県に社会保険事務所を置いていたが、その職員は自治労という労働組合(県庁、市町村役場職員で組織されている)に所属し、組合指導の下に勝手放題の業務を行っていた。かつて民主党長妻議員などが「消えた年金」問題で大手柄を立てたが、年金記録がでたらめなものになっていたのは、自治労所属の職員が労働強化反対ということで行うべき業務を殊更に怠っていたことによるものである。社会保険庁は組合中心の組織で幹部職員と一般職員とはまるで分離された状態になっていたから、年金記録がどうなっているかを幹部職員は教えられておらず、知ることができない状態になっていた。そのため民主党議員の質問に対する厚生省が作成する国会答弁も極めてずさんなものだった。その結果、組合からの正確な情報に基づく民主党議員の質問に政府は揺さ振り続けられることになった。これによりどれだけ国民の年金不信を招き、解決のためにどれだけの予算と時間を費やすことになったことか、思い出しても腹が立つ。私は当時、厚生省関係の国会対策の責任者を務めていたので、厚生省の対応には煮えくり返る思いをした。厚生省幹部職員には民主党につながる人脈があることは知られているが、「消えた年金問題」では彼らが民主党には正確な情報を提供し、内閣、自民党にはいい加減な報告をし、組合に配慮した解決策しか提案しないというのだからたまったものではない。今回も同じことが繰り返されていることだろう。
 「消えた年金問題」により世論は社会保険庁という組織そのものを潰せという大きな声となり、社会保険庁は解体され年金機構となったのだが、組織の形が変わっただけで実態は変わっていないことを今回の事件で露呈したといえる。このことは年金機構設立の議論の時に危惧されていたことである。従来の議員がいないと業務ができないという理由で、社会保険庁職員をそっくり年金機構職員に横滑りさせるために厚生省は躍起であった。厚生省は「消えた年金」問題で社会保険庁職員の処分を軽微にするよう最大限努力し、そういう職員を年金機構職員をして身分を保証したのであるから、かつての忌まわしい体質が払拭されるわけがない。
 今回の事件も厚生省の民主党への通報により国会審議妨害に使われることになったものであろうことは想像に難くない。国民にとっては事実を知ることができたことは良かったし、政府には迅速に対処してもらわねばならない。一方で、民主党(代表代行は長妻議員)は今回の事件を「漏れた年金」と称し「消えた年金」問題の2匹目のドジョウとする方針のようだが、組合指導の下での自らの怠慢、不作為の結果を野党に提供しそれを民主党が対政府攻撃の手段として政治問題化するという横暴な反国家的な連携によって国会が混乱し国民が迷惑するという事態は二度と起きないようにすべきである。今回もあたかも制度、体制に問題があるかのごとき議論が行われ政府を追及しているのはナンセンスである。どんなに制度、体制がよくできていてもそれを運用する職員、さらに幹部の体質に問題があればうまくいくわけがない。年金機構の問題はかつて職場規律に従わないことを本分とする旧社会保険庁の伝統を引き継いでいる職員及びそれに迎合することにのみ汲々としている幹部にあるのである。この勢力の排除、根絶なくしては今後とも問題の再発は防止できないことを今こそ知るべきである。どれだけ立派な説明が行われ解決策が講ぜられても問題の根底がここにあることを踏まえないものは上っ面を糊塗しているだけのものでまるで役に立たないことになる。問題解決のためと称して税金をつぎ込み体裁のいい組織改正をするという無駄な徒労に終わるような愚を再び行うようなことは避けてもらいたい。
 今回の事件の原因として年金機構職員がインターネットの情報管理についての指示に従わなかったばかりか、指示通り実行したとの虚偽報告をしていたことが明らかになった。そういうことを管理職は監督できないというのが社会保険庁以来の体質なのである。これではいくら対策を講じたことになっていても解決することなどあり得ない。虚偽報告の事実は私の指摘を裏付けるものであると思う。

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