サンゴ密漁を仕組んだ中国政府のしたたかな狙い
尖閣諸島奪取の訓練か、あるいは第2列島線突破の予行演習か

政策提言委員・元航空支援集団司令官 空将  織田 邦男

orita 今年9月以降、サンゴ密漁の中国漁船団が小笠原諸島周辺海域に来襲している。海上保安庁によると、9月初旬には領海周辺で十数隻、10月初旬から中旬には30〜50隻、10月末時点で212隻を確認した。
 菅義偉官房長官は11月4日の記者会見で、中国漁船によるサンゴ密漁について、外交ルートを通じた再発防止の申し入れをしたことを明らかにした。中国側からは「重大性を認識しており、漁民に対する指導など具体的な対策に取り組んでいる」との説明があったという。
 中国外務省の洪磊副報道局長は5日の記者会見で、この件に関し、「中国は一貫して赤サンゴの違法採集に反対している」と表明し、「中国は関係者を教育、指導するとともに厳しく取り締まっている」ことを強調した。更に「中日の法執行部門が適切に協力し問題を処理できるよう望む」として、日本側と協力して対応に当たりたいと述べた。
 こうした中国側の声明にも関わらず、7日には同諸島周辺で漁船191隻を海保が確認した。中国密漁船団は台風20号の接近に伴い、一時的に同諸島から離れたものの、大半が再び近海に戻り密漁を再開している。
 佐藤雄二海上保安庁長官は「サンゴは1キロ600万円の高値で、一獲千金を狙って来たのではないか」と述べ、海洋権益拡張を狙う中国政府の動きとの関連性はないとの見方を示した。
 他方、海洋問題に詳しい山田吉彦東海大学教授は「中国の漁船団は基本的に中国海警局の管理下にあり自由に動き回ることはない。(中略)中国側による密漁抑止の動きは消極的だ。むしろ、中国当局の関与を疑う」と述べている。
 中国問題に詳しい宮崎正弘氏も「珊瑚密漁は表向きのこと。実態はまさに第二列島線突破のための『海上民兵』の下訓練である」と述べる。
 また、ジャーナリストの櫻井よしこ女史は、「商業目的であるというところから疑う必要がある。中国漁船の移動距離は往復4000〜5000q、燃料費は1隻数百万円もかかる。民間人がそこまでして漁をするはずがない。中国政府が絡んでいるのは明らか」と語る。
 7日から北京でAPEC閣僚会議が始まった。威信をかけた北京APECの最中に中国政府が「密漁漁船団」を主導することは考えにくい。「反習近平派」の仕業という声もあるが、真偽のほどは分からない。
 この真偽は別に置くとしても、我々は中国の「海上民兵」の実態について正しく把握し、警戒しておくことが重要だ。近年、中国は漁民を偽装した「民兵」を尖兵として活躍させ、目立たぬように既成事実を積み重ね、最終的に実効支配を奪取するという手法をとるようになった。
 現在の国際環境では、係争地に軍を出動させれば国際社会の糾弾を受けやすい。これを避けるため、軍艦や公船を使わず、漁民になりすました「民兵」を正面に出すわけだ。
 海上保安庁の発表によると、尖閣国有化以降、公船による領海侵犯は1年目216隻、2年目101隻と減少傾向にある。これに対し、中国漁船によるものは2012年には39隻だったが、2013年には88隻、そして2014年には207隻(9月10日時点)と激増傾向にある。これらはほとんどが漁船を装った海上民兵といわれている。
 日本では何故かあまり報道されないが、海南島の潭門港には、海上民兵組織が存在する。1985年に創設され、現在は約2300人規模(2012年)の組織である。任務は「漁業による領有権主張」と、環礁埋め立てなどの「建設資材の運搬支援」などである。
 中華人民共和国憲法55条には「1.祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国の全ての公民の神聖な責務 2.法律に従って兵役に服し、民兵組織に参加することは、中華人民共和国公民の光栄ある義務」とある。中国当局は近年、「光栄ある義務」である民兵組織を積極的に活用するようになったのだ。
 今年5月、ベトナム沖で石油掘削作業を一方的に開始した際、オイルリグを取り囲むように多数の船舶が出動し、ベトナム船との衝突を繰り返した。中国側約100隻の船舶のうち、約90隻が民兵組織の漁船だった。潭門港には習近平主席の「君達は、海洋権益を守るために先陣の役割を果たしている」というバナーが掲げられたのが確認されている。
 南シナ海では岩礁の領有権を巡って、フィリピンやベトナムが激しく中国と対立している。南沙諸島では中国が実行支配するガベン礁、クアテロン礁、ジョンソン南礁など七つの岩礁のうち、六つの礁を島に拡張する「人工島化」が進行中である。この埋立に必要な土砂や建設資材の運搬支援はすべて海上民兵によって実施されている。
 中国は基本的には軍事力で勝る米国と事を起こしたくない。経済もグローバル経済に依存しているので、国際社会から制裁を受けるようなことは避けねばならぬ。領有権に係る摩擦は小競り合い程度に収めつつ、目立たぬよう、時間をかけて既成事実を積み重ね、最終的には領有権を奪取する。この主役が「海上民兵」なのである。
 アジア太平洋安全保障センターのモハン・マリック博士は、こういう中国の行動を「POSOW : Paramilitary Operations Short of War」と名付けている。戦争には至らない準軍事作戦であり、米国の決定的な介入を避けながら、サラミ・スライス的に逐次成果をあげるというものだ。
 サラミは、薄くスライスして、目立たぬよう少しずつ掠めて行けば、その内、まるごと一本ものにできる。この中国の「サラミ・スライス戦略」は今に始まったわけではない。陸ではとっくの昔から始まっている。中印国境にあるアクサイチン高原をインドから奪取したのが典型例である。
 アクサイチン高原はインドのカシミール地方にあり、スイスとほぼ同じ面積である。1954年から62年にかけ、中国人を牧草地に逐次入植させ、中国人勢力が強くなるとインド人牧場主を追い出していった。8年間にわたり、これを繰り返していくうちに、アクサイチン高原は中国人入植者だけになった。インドはスイスと同面積の領土を中国にもぎ取られてしまったわけだ。
 今後、尖閣諸島にも漁民を装った「海上民兵」が登場してくることは充分予想される。漁民に偽装した武装民兵が尖閣諸島に上陸した場合、果たして日本はこれを守ることができるのか。
 仮に数十人の漁民を偽装した武装民兵が尖閣に上陸したとしよう。「漁民の不法上陸」として扱われ、海保と沖縄県警が対応することになるだろう。だが、日本の実効支配を崩す目的の武装民兵を逮捕、拘束することはまず不可能である。拳銃と盾だけの沖縄県警機動隊は多数の犠牲者を出し、撤退を余儀なくされる。法執行が困難となった瞬間、実効支配は消滅する。
 他国では、その時点で警察事態から防衛事態へと自動的に切り替わる。つまり「犯罪」から「侵略」事態へと対応が変わるわけだ。だが、日本の場合、「計画的、組織的な武力攻撃事態」と認定されない限り、防衛事態としての対応はとることはできない。「犯罪」でもない「侵略」でもないグレーゾーンが存在するわけだ。警察、海保が対応できず、さりとて自衛隊が自衛行動をとることもできない。
 バラク・オバマ米国大統領は4月の訪日時、尖閣諸島は安保条約5条の適用対象であると述べた。第3海兵遠征軍司令官ジョン・ウィスラー中将は「尖閣は侵攻されても容易に奪還できる」と述べた。この発言に日本は安堵したようだが、大きな誤解がある。
 安保条約5条が適用され、米軍の出動が可能になるのは「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであること」を認めることが大前提である。当事者である日本が「武力攻撃事態」を認定しないものを、米国が勝手にそれを認めて安保条約5条が発動されることはありえないのだ。
 武装民兵による尖閣占領のようなグレーゾーン事態に対しては、現状では日米同盟は機能しないことを我々は覚悟しておかねばならない。これが中国が狙うターゲットとなる。
 ある人民解放軍高官は、「中国にとって最も好都合な日米同盟は、ここぞという絶妙の瞬間に機能しないことだ」と述べた。米軍と事を構えたくない中国にとって、海上民兵を使い、日米同盟が機能しないまま、日本が対応できず右往左往している間に既成事実を積み重ね、実効支配を奪取するのは最良の方策に違いない。
 「サラミ・スライス戦略」の名付け親である軍事ジャーナリスト、ロバート・ハディック氏は「米国は中国のサラミ・スライス戦略に対し答えを持っていない」と述べた。だが、日本はサラミ・スライス戦略の対象そのものであり、「答えを持っていない」では済まされない。
 安倍内閣は7月1日の閣議で、グレーゾーン対処については、新たな法整備は実施せず、現行法制の運用改善で対処することを表明した。集団的自衛権の限定的行使容認を最優先した政治的妥協の産物であろうが、誠に残念である。
 今の法制では海保、警察による警察行動と自衛隊による自衛行動には大きな溝がある。「運用」などによっては、とてもシームレスに対応することはできない。拙稿「画龍点睛を欠く『在り方検討中間報告』」(2013.8.2)に書いたので、ここでは省略する。
 ただ、自衛隊が対応できるようグレーゾーン事態の法整備をしたとしても、相手が民兵である限り、日本も自衛隊を出動させないという選択は充分にありうる。従って、グレーゾーンの法整備とは別に、海保と警察の装備を充実させ、危害射撃要件の緩和を含め、武器使用権限を拡大して最小限の防衛行動が可能になるような施策は急務である。
 米国の場合、沿岸警備隊(United States Coast Guard)は、アメリカ軍を構成する「陸軍」・「海軍」・「空軍」・「海兵隊」に次ぐ5番目の軍隊(準軍事組織)と位置付けられている。2001 年 の同時多発テロ事件以降、沿岸警備隊は、運輸省から国土安全保障省に移され、従来の法の強制執行権と共に、国家安全保障の側面がより重視されることとなった。もちろん武器使用権限も拡大されている。
 他方、海保の任務は保安庁法2条にあるように「法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕」等、海上の安全及び治安の確保を図る任務に限られており、島嶼防衛という任務は与えられていない。
 任務が付与されないまま、事実上、領域警備の任務に連日苦労されている海保には頭が下がる。だが、これは決して正常な状態とは言えない。今後、武装民兵の上陸等が十分予想される。事が起きてからドタバタ劇を繰り返すのではなく、事前に予想できることは準備しておくのが危機管理の基本である。
 米国の沿岸警備隊を参考にし、海保には安全保障を視野に入れた任務付与と権限強化が必要である。警察には武装民兵との銃撃戦に対応可能な装備品の導入、そして警察官職務執行法改正による武器使用権限強化が喫緊の課題である。
 今回のサンゴ密漁はただ単なる「商業目的」かもしれない。その場合でも、やれやれと胸を撫で下ろしている場合ではない。中国は南シナ海で民兵活用による領有権奪取の成果を着々と上げてきている。
 民兵活用は、まさに戦争には至らない準軍事作戦である。米国の決定的な介入を避けながら、サラミ・スライス的に逐次成果をあげるには最適の手法であることに中国政府も気がつき始めたようだ。
 尖閣諸島に海上民兵が上陸する日はそう遠くない。その日が来る前に、日本は磐石の態勢を確立しておかねばならない。

20141112日付『JBpress』より転載

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