保守主義の巨星リムボウ氏、逝く

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 アメリカの保守主義とは何か。
 この大きな命題への答えに向かっての私なりの模索では、ラッシュ・リムボウ氏の果たした役割は大きかった。リムボウ氏と言えば、アメリカで長年、最大の聴取者を持つ超人気のラジオのトークショーの論客だった。
 この30年以上、全米のあらゆるラジオの語りかけ番組ではナンバーワンの人気者だったのだ。そのリムボウ氏が2月17日、肺癌で死去した。70歳だった。
 リムボウ氏と親しかったドナルド・トランプ前大統領はすぐに追悼の声明を出し、「彼はアメリカの保守主義の伝説だった。他者をもって代えがたい友人でもあった」と、述べた。
 ジョージ・W・ブッシュ元大統領も「彼の主張に同意でも不同意でも、アメリカを愛し、アメリカの政治を変えた人物として誰もが敬意を表するだろう」という声明を出した。
 現職のジョセフ・バイデン大統領も、リムボウ氏の政敵の民主党ながら報道官を通じて「アメリカ国民の多くに愛されたアメリカを愛した人物の死を悼む」という弔意を表明した。
 私にとっては30数年前に2度目のワシントン特派員として赴任して、アメリカ政治に改めて触れた頃の「教師」の一人がリムボウ氏だった。私が初めてワシントンに居を定めた1976年はまだリベラリズムが政治理念の主流だった。戦後ずっと続いてきた民主党リベラル派の「大きな政府」や「社会福祉最優先」、対外的には融和志向の「国際協調」を柱とするイデオロギーがまだ多数派だった。連邦議会の上下両院も民主党が多数を占めてきた。
 だが民主党リベラル派の最後の大統領ジミー・カーター氏は内政外交いずれも失敗の連続だった。1981年には共和党保守派のロナルド・レーガン大統領が登場した。アメリカの保守主義が初めて国政の主流派、多数派となった歴史的な転換だった。
 その保守主義の思想を一般大衆に極めて分かりやすい形で広めたのがリムボウ氏だった。1988年から始めた全米向けのラジオの政治トークショー「ザ・ラッシュ・リムボウ・ショー」は空前の人気ラジオ番組となった。私も車の運転での職場への往来などで、よくその番組を聴いた。
 以来、2020年までの32年間、この番組は、最初は深夜だった時間帯を東部時間では正午から午後3時と、ラジオのゴールデンアワーへと広げていった。一回の時間も3時間にまで伸びた。聴取者が増え続けたからだ。
 
 アメリカのメディアではラジオの地位は意外と高い。車の運転をしながら耳を傾けるという人が極めて多いのだ。だからラジオの番組も多様多彩である。
 そんな中でこのリムボウ氏の番組はなんと30年もラジオでは全米第1位、週間の聴取者数が平均1,500万を超えるという盛況だった。その第1位の人気はリムボウ氏が病気で倒れる昨年まで一貫して変わらなかったのだ。
 リムボウ氏はリベラル派を批判するには毒舌だった。だがいつも独特のユーモアがあった。ニューヨーク・タイムズやCBSテレビというような主要メディアに対してはその偏向を指摘して、糾弾し、あざけり、茶化してきた。「リベラルでエリートの大メディアの傲慢を正す」というわけだ。
 だから彼の敵は共産主義者、社会主義者、動物愛護過激主義者、好戦的菜食主義者などだった。「フェミナチ」という言葉も彼の造語であり、敵だった。ナチスのようなフェミニストという意味だった。今の時代なら直ちにポリティカル・コレクトネスの断罪を受けかねない言辞だった。
 だが、リムボウ氏はその種の攻撃を独特のユーモアとヒューマニズムでかわしてきた。基本的な立場は保守本流、資本主義や自由市場経済の原理、個人の自助努力の美徳を推進した。政府の過剰な規制ややアメリカの伝統の否定には猛反対した。
 リムボウ氏はやがて共和党全体、保守主義陣営全体でも強大な影響力を発揮するようになった。保守主義を信奉する大統領をはじめ、上下両院の議員たちまでがリムボウ氏の意見を尊重するようになったのだ。
 トランプ大統領は2020年2月の議会合同会議での一般教書演説ではすでに病床にあったリムボウ氏を招き、その場で「大統領自由勲章」という最高の栄誉を与えたほどだった。
 リムボウ氏は、最近は肺癌の末期と診断され、フロリダ州の自宅で静養していた。
 日本ではアメリカ通とされる識者の多くはリベラル派への同調をみせているようだから、保守派の代表のリムボウ氏の知名度も評価もそれほど高くはないようだ。
 だがリベラルと保守と、いずれの思想を好むにしても、リムボウ氏が近年のアメリカの保守主義の広まりに果たしてきた独特の役割は知っておくべきだろう。