経済安全保障のさらなる強化、公安調査庁の新たな取り組みとは

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政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷昌敏

 中国・武漢市を原発地とした新型コロナウィルス(COVID-19)は、全世界に蔓延し、おびただしい感染者と死者、莫大な経済損害を世界各国に与えた。これだけ被害が拡大した背景には、ITやAI技術の急激な進化が世界のグローバル化に拍車をかけたことがある。グローバリズムは、人類に大きな恩恵を与える反面、世界に膨大なリスクをまき散らしたのである。こうした状況の中、我が国においても、新型コロナの水際対策で人の移動や物流が寸断され、国内では生産を中国に依存していたマスク、人工呼吸器、防護服などの医療資材不足が深刻化し、サプライチェーンの再構築が急務だった。
 これまで政府は、国際環境の著しい変化とグローバル化によって急増するリスクに対処するために、国家安全保障局(NSS)に経済安全保障を担当する「経済班」を立ち上げるなどの施策を行ってきた。まだまだ本格的な取組には至っていなかったが、今年、政府は、自民党政務調査会・新国際秩序創造戦略本部が提言した「経済安全保障戦略の策定に向けて」に応えて、経済安全保障の取り組みを本格化させる。
 第1段階としては、これまでほぼ放置されてきた外国資本による土地の買収問題に対する法的規制を行う。例えば、北海道などでは、大規模な中国資本による買収が行われており、中国人の居留地となるのではと危惧されている。現行制度では、外国人による買収を規制するルールはなく、何等かの抑止が早急に必要となっている。
 第2段階としては、年度内にも防衛機密や先端技術を扱う人の信用度を保証する認証制度を創設する。この認証制度は、欧米などでは「セキュリティー・クリアランス制度」と呼ばれ、国家機密へのアクセス権限を持つ人を限定するための認証制度だ。米国では機密レベルを3段階に分け、レベルごとにアクセスできる情報の種類や流出防止措置などを厳格に定めている。
 日本の防衛産業は、機微技術を扱うため、防衛省から指定された企業だけが防衛技術を共有できるようになっており、これでは新しい企業が参入してブレークスルーを狙うような革新的な装備開発はできない。「セキュリティー・クリアランス制度」に加えて、「秘密特許制度」(機微技術の特許を公開しない制度)を導入することで、新しい企業の参入を促すことが是非とも必要だ。
 
続出する技術流出事件
 日本では、特定秘密保護法が2013年に公布されたが、これはあくまでも公務員の機密漏えい防止の目的で制定されたもので、民間人のスパイ行為に備えたものではない。科学技術に軍民の差がなくなった現在、特定秘密保護法では、民間レベルにおいて安全保障に係る機微技術が盗用されることを防ぐことはできない。
 こうした中、日本においても科学技術流出事件が相次いでいる。
 2019年2月、愛知県警は、名証2部上場の超硬工具メーカー「富士精工」(本社・愛知県豊田市)の製品情報をコピーしたとして、同社の社員で中国籍の申永輝容疑者(31歳)を不正競争防止法違反(営業秘密の領得)の疑いで逮捕した。申容疑者は「データを移したことは間違いないが、不正な利益を得るなどの目的はなかった。勉強目的だった」と容疑の一部を否認している。申容疑者は不正な利益を得る目的で、営業秘密として富士精工が管理していたドリルなどの同社製品の設計情報をUSBメモリーにコピーし、国外に流出させた疑いがある。
 2019年6月、京都府警は、NISSHA(旧日本写真印刷、京都市)の企業秘密である技術情報を海外で使用する目的で持ち出したとして、元社員の寺谷和臣容疑者(43歳)を不正競争防止法違反(営業秘密の領得)の疑いで逮捕した。寺谷容疑者は「複製したことは間違いないが、不正な利益を得たり、国外で使用したりする目的はなかった」と容疑を一部否認している。寺谷容疑者は2017年12月に退職後、中国にある競合他社で働いていた。
 2020年10月、大阪府警は、大手化学メーカー「積水化学工業」(大阪市北区)の男性元社員(45歳)が在職当時、営業秘密にあたる「導電性微粒子」の製造工程に関する技術情報を通信機器部品メーカー「潮州三環グループ」(広東省)に漏洩したとして、不正競争防止法違反(営業秘密侵害)容疑で書類送検した。元社員は、容疑を認め、「潮社の社員と技術情報を交換することで自身の知識を深め、社内での評価を高めたかった」と供述した。元社員は、退職後、中国の大手企業「ファーウェイ」に再就職していた。
 
公安調査庁に期待すること
 日本の安全保障は、これまで防衛省や外務省が担ってきたが、経済安全保障は、エネルギー、食糧、科学技術、ファイナンス、環境、資源など多岐にわたる。これまで、日本の省庁で、これらを総合的に扱ってきた例はない。戦後の省庁の縦割り行政が影響し、日本では省庁統合的な危機管理体制は育ってこなかった。
 安全保障の観点から経済政策を立案する上で、最大のテーマは先端技術の流出防止だ。米国は、民間の技術を活用して経済力と国防力を強化する「軍民融合」の中国に対抗するために、「国防権限法」をはじめ、あらゆる中国抑止策を講じてきた。日本はこうした国際環境を見据えた戦略を立てていく必要がある。
 公安調査庁は2021年度から、経済安全保障に関わる企業や研究機関の技術情報について流出対策を強化する。経済安全保障上の情報収集や分析にあたる職員を70人超増員し、企業などからの相談を受け付ける専用窓口も設置した。
 これまでも公安調査庁は、日本における中国の科学技術窃取や様々なインテリジェンスの脅威に対して、企業や大学、諸官庁などと協力して情報収集と分析活動を行ってきたが、これで本格的に経済安全保障に取り組むことになる。
 今後、防衛省、外務省、警察庁、経済産業省やNSS経済班などと連携して、オールジャパンの強力な中国包囲網を構築していくことを期待する。