岸田首相の対中姿勢の欠陥

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 岸田文雄首相が12月24日、ついに北京冬季オリンピックに日本政府の代表は送らないと、言明した。「ついに」とあえて書くのは、その決定が遅かったからである。しかもこの決定の理由としては明白な中国の人権弾圧には直接の批判を述べなかった。さらにこの措置は北京冬季五輪の「ボイコットではない」という。
 岸田首相のこの対応は中国の人権弾圧を明確に非難し、しかもその弾圧こそが理由だとしてボイコットを打ち出したアメリカや、イギリス、オーストラリアなどの自由民主主義諸国とは異なっていた。
 岸田首相の姿勢は明らかに中国への忖度なのだ。中国側の反発を恐れて、批判は批判でないかのような婉曲の表現に変えてしまう。日本の対中外交の年来の特徴である。その特徴が岸田政権下でさらに顕著となったのだ。
 そんな忖度や遠慮の理由はそうした配慮を示せば、中国側が日本に対して反発しない、強硬な言動をとらない、日本への姿勢を和らげるという期待だろう。だが岸田政権のそうした対中姿勢はまちがっている。
 中国はこれまで日本側の忖度や配慮に対応して、従来の対日政策を緩和したという記録はまったくないからである。
 横暴な相手に配慮をみせても、相手は横暴を緩めない。むしろこちらの配慮を弱さとみて、さらに横暴に出てくる。中国政府の日本に対する姿勢はそんな記録の連続なのだ。
 
 岸田首相は同24日、「来年2月の北京冬季五輪・パラリンピックへの政府代表団の派遣を見送る」と発表した。閣僚などは一切、送らないかわりに東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長らを送るに留めるという。
 この措置の理由を問われた岸田首相は次のように答えた。
 「国際社会における普遍的な価値である自由、基本的な人権の尊重、法の支配が中国でも保障されることが重要だと考えている。これらの点を総合的に勘案し、自ら判断した」
 以上の声明には中国がいま新疆ウイグル地区などで人権を弾圧していることの指摘も、その弾圧への非難もない。中国の責任に触れることなく、ただただ平板な一般的声明を述べているだけである。
 この点、アメリカやイギリスの北京五輪の外交ボイコットはその理由を明確に述べている。バイデン政権の12月8日の言明ははっきりと中国政府のウイグル人弾圧を指摘して、その理由のためにアメリカ政府関係者は一切、北京でのオリンピックをボイコットすると述べていた。
 この点、岸田政権の言明は単に「基本的人権が中国でも保障されることが重要である」と述べるだけだった。付記としての日本政府関係者の説明として「中国当局によるウイグルや香港などでの人権弾圧などを念頭において」という語句が追加される。
 だがこの「念頭において」という言葉が逃げのためのカギである。批判の言明を批判の標的に向けて直接にぶつけずに、「念頭において」と脇に逃げるのだ。一国の政府の態度としては、あまりにこすっからく、子供じみた語法だといえよう。凶悪な犯罪者に対する非難をあえて明確には述べず、その犯罪者を「念頭において」一般的な非難の言明を述べる、というのに等しいのだ。
 さらに岸田政権の北京五輪への対応は遅すぎた。アメリカのバイデン政権の外交ボイコット宣言から17日も後だった。イギリスやカナダ、オーストラリアはアメリカのすぐ後のボイコット宣言だった。同じ自由民主主義の先進諸国でも日本だけがいつまでも態度を明確にしなかったのだ。その間、中国政府による人権弾圧は続いていたのだ。
 岸田首相は日本政府の態度を決める前には、どうするのか問われて以下のような言明をしていた。
 「適切な時期にタイミングをみて、わが国の外交の観点など、さまざまな点を勘案し、国益に照らして判断する」
 これまた曖昧きわまる言葉だった。「適切な時期」、「外交の観点」、「さまざま点を勘案し」、「国益に照らして」など、いずれも意味があるようにみえて、当然すぎてなんの意味もなくなってしまう言葉である。
 「言うべきことを言う」という岸田首相の言葉もあった。これまた「雨が降れば、天気が悪い」というに等しい無意味な表現である。
 こうした空疎な表現の背後にあるのは中国に対しては抗議めいた言葉は述べたくないという回避である。岸田首相の中国へのこうした批判回避の態度は親中派として名高い林芳正外相によってさらに増幅されているといえよう。
 だが岸田政権の今回のこうした態度は日本が普遍的な価値観である人権の弾圧には他の民主主義諸国のように敏速な非難の言動はとらないという現実を国際的に印象づけた。さらには岸田政権は中国には遠慮し、忖度をするという傾向をもそれ以上に強く印象づけたといえよう。
 だが今回の岸田政権の中国への姿勢は日本の国益を害するといえよう。中国の人権弾圧に断固とした抗議の言動をとるアメリカなどの各国に日本は同様ではない、と感じさせたことがその理由の第一である。さらに重要な第二の理由は肝心の中国に日本は人権問題での対中姿勢は弱いという認識を再確認させたことである。
 中国は日本が中国への宥和や友好の措置をとっても日本への基本的な敵対姿勢を変えることはない。ここで中国の対日政策の基本をみておこう。中国の日本への態度がよくなったか否かは以下の5点についての変化の有無がカギとなる。
 第一には、中国は日本とは異なる国際秩序を求めている点である。第二次世界大戦後のアメリカ主導の国際秩序を日本は尊重し、その一員となってきた。だが中国はいまや明らかにアメリカ主導とは異なる国際秩序の構築を宣言するにいたった。
 第二には、中国は日本の国家安全保障の根幹を否定している点である。日本は日米安全保障条約に基づく日米同盟に自国の安全保障、つまり防衛を委ねている。だが中国はその日米同盟に反対し、米軍のアジア撤退を求める。
 第三には、中国は日本の民主主義や人権尊重、法の支配に基づく自国の統治には反対な点である。中国は共産主義、社会主義に基づく共産党政権の一党独裁の統治の保持を求め、個人の自由などを尊重しない。つまり普遍的な価値観の違いである。
 第四には、中国は「抗日」の名の下に反日志向を共産党独裁の正統性として保持している点である。中国共産党こそが軍国主義の日本を打倒し、全人民を解放したと強調し、自国民には日本について戦時の軍事侵略のみを教え、戦後の平和志向を教えない。
 第五には、中国は長期には日本を自国の影響圏内におこうとしている点である。日本固有の領土の尖閣諸島の軍事占領を目指し、沖縄の日本の主権を認めず、「小日本」として日本の中国への従属性を国内論議では絶やさない。
 
 以上の中国の対日政策の基本は数十年、揺らいでいない。日本側がいかに対中友好を説いて、巨額の経済援助をODA(政府開発援助)の形で与えても、中国当局が天安門事件の大虐殺で国際的に孤立した後、日本が天皇訪中までも実現して支援をしても、中国側の日本への潜在敵視も領土の略奪の基本策も変わらなかった。
 そんな中国に北京オリンピックのボイコットでささいな忖度をしてみてもなんの効果もなく、かえって日本側の弱腰をみての中国側からのいっそうの対日圧力を招きかねないのである。だから今回の岸田首相の中国への忖度政策にも大きな欠陥があると指摘せざるをえないのだ。