ドイツは二度の世界大戦の口火を切り、全世界を破滅の危機に陥れた。そのため、ドイツの軍事強国化は欧州では最も恐れられていたことだった。だが、ウクライナ戦争を切っ掛けとして、再びドイツはヨーロッパの強き心臓に押し上げられようとしている。
今回、ドイツ軍はリトアニア東部に陸軍部隊の駐留を開始した。これは第二次世界大戦後、ドイツが外国に約5,000人規模の常駐部隊を置く初めてのケースであり、駐留部隊には主力戦車「レオパルト2」など最新型の装備を配備している。今後、部隊はさらに増員され10,000人規模となることが確実視されている。リトアニアはラトビアやポーランドと隣接し、西にはロシアの飛び地カリーニングラード、東にはロシアの同盟国ベラルーシが位置する対ロシアの要衝地だ。この地に強力なドイツ軍が駐留することは単にリトアニアを防衛するだけではなく、NATOの東部方面の防衛強化とバルト三国の安全保障が向上することを意味する。派兵開始式典において、ドイツのフリードリヒ・メルツ首相はリトアニアのギタナス・ナウセダ大統領と共に「欧州の平和は崩壊した」と述べ、さらに「今後、NATOはドイツを頼ることが出来るだろう」と述べて、欧州の安全保障におけるドイツの役割を強調した。
ヨーロッパにおける外国駐留の歴史
第二次世界大戦に敗れたドイツは完全に武装解除され、いかなる種類の再軍備計画も禁止されていた。小規模な国境警備隊や機雷の掃海部隊はあったものの、国軍は設置されず、占領下ドイツの国防には連合国のうち4ヵ国、米国・英国・フランス・旧ソビエト連邦の各国軍が責任を持っていた。しかし、朝鮮戦争を契機とした東西の緊張の高まりによって、1950年には新しい西ドイツ軍創設のための基本構想の策定が始まり、55年11月には正式に誕生した。当時の西ドイツには米軍をはじめとするNATO軍が駐留し、ソ連の脅威に対抗するための防衛拠点となっていた。これは今回のリトアニア駐留と似た構図で、東欧方面に向けて米軍の強大な軍事力を拡大し、ロシアの影響力を抑えるための戦略的配置といえる。2004年にリトアニアを含むバルト三国がNATOに加盟したことで、地域の防衛体制が強化された。これに伴い、NATOはロシアの脅威に備えて各国に部隊を派遣し、現在のドイツ軍駐留のような防衛策が取られるようになる。
ドイツ軍は過去にも海外派遣を行っている。例えば、92年にはカンボジアの国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)に衛生部隊を派遣し、これがドイツにとって初の本格的な国連平和維持活動(UNPKO)への参加となった。それ以降もボスニア・ヘルツェゴビナの平和安定化部隊 (SFOR)・欧州連合部隊 (EUFOR)、コソボのKFOR、アフガニスタンの国際治安支援部隊 (ISAF)、エチオピア、エリトリア、ソマリア、スーダン、コンゴ民主共和国、レバノンなどの軍事作戦や平和維持活動にも派兵している。今回のリトアニア駐留は第二次世界大戦後初の長期的な外国駐留となり、欧州の安全保障において重要な転換点となる可能性がある。
ロシアに対抗するドイツ
ドイツはロシアに対して複雑な役割を担ってきた。歴史的に、ドイツはロシアとの経済的な結びつきを強めることで政治的な対立を抑えようと努めてきたが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ドイツはロシアを「最大の脅威」と位置づけて、その姿勢を大きく転換した。3月にはウクライナ支援や軍備拡張を可能にする国防費増額に向け、財政規律を緩和する基本法(憲法)を改正した。トランプ政権がNATO加盟国に求めている国内総生産(GDP)比5%の防衛費目標についても、メルツ氏は支持する考えを表明している。また、ドイツ政府は声明で、NATOの役割について「NATOはドイツの安全保障の要であり、ドイツに対するいかなる攻撃も抑止する力を持っている」「NATO加盟国は、民主主義、法の支配、人権尊重といった共通の価値観を共有しており、これらの価値観を守るために協力している」「ドイツは、NATOの活動に積極的に参加し、軍事力、資金、人材を提供することで、NATOの強化に貢献していく」などと述べている。
こうした中、発足間もないメルツ政権について、ドイツ公共放送ARDは「ドイツを英仏などと共に欧州の心臓として機能させることに成功した」と評価した。かつてのメルケル元首相が強い指導力を発揮して欧州を牽引したように、再び欧州の中心として強い存在感を示すことが出来るようになるのか、メルツ氏のこれからの手腕が大いに試されることになるだろう。 また、メルツ氏は、ウクライナ情勢についても触れ、「米欧がウクライナに供与する長射程兵器に射程制限はない」と明言した。メルツ氏はかねてから、ショルツ前首相がロシアを警戒して拒み続けてきた長射程巡航ミサイル「タウルス」(射程約500km)の供与に前向きな姿勢を示している。
総力戦体制をとるNATO諸国
ロシアに対して軍備を固めつつあるのは、ドイツだけではない。1949年のNATO創設以降、主要メンバーの一員として中核的な役割を務めてきたデンマークのポールセン国防相は「ロシアが予想以上に早く軍備を増強し、3~5年以内にNATO加盟国を攻撃する可能性がある」との情報を踏まえ、「デンマークに対する直接的な脅威はないが、加盟国を不安定にしようとするハイブリッド攻撃にNATOが直面する可能性があり、デンマークは軍事投資を加速させる必要がある」と訴えた。ドイツのピストリウス国防相も「ロシアが5~8年以内にNATOを攻撃する可能性に備えるべき」とポールセン氏を支持した。 また、英国は今後、米豪との安全保障枠組みAUKUS(オーカス)の一環として新たな攻撃型原潜12隻を建造し、2030年代以降に現行の7隻と入れ替える予定だ。さらに核弾頭に150億ポンド(約2兆9,000億円)を投資して、核戦力の増強を図る。ちなみにAUKUSには、日本は重要な技術パートナーとして関与することになっている。
東西冷戦の崩壊以降、欧州はロシアとの経済的な結びつきを強めてきた。だが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、欧州はロシアとの関係を見直し、現在、欧州とロシアの関係は冷戦後最大の緊張状態にあると言えるだろう。
《参考》
1)「ロシア、3-5年以内にNATO攻撃も デンマーク国防相が警告」2024年2月9日、REUTERS)
2)「『強いドイツ』復権へ加速、リトアニアで第2次大戦後初『独連邦軍の単独国外常駐』…ウクライナ支援も強化」
2025年5月30日、読売新聞)
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