「メメント・モリ」の戒告、人類の存在を脅かす「死の4人組」

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政策提言委員・金沢工業大学特任教授 藤谷昌敏

 「メメント・モリ」(memento mori)とは、ラテン語の成句で「死を想え」「死を忘るるなかれ」、つまり「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句である。古代ローマでは、将軍が凱旋式のパレードで歓声を浴びている際、将軍の後ろに立つ奴隷が「あなたは、不死身の神ではなく、いつか死ぬ人間であることを忘れるな」と忠告する文化があったという。中世ヨーロッパでは、ペストや戦火により死が社会全体にあふれ、「死の舞踏」(ダンス・マカブル)など、「メメント・モリ」にあたる思想が流行し、人々は死の普遍性を表現するためにこのテーマを用いたとされる。
 京都学派の哲学者として知られる田辺元は、現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術が却って人間の生を脅かすという自己矛と盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する。
 現代社会は、まさに田辺の主張するような「死の時代」であり、ニヒリズムが世界に溢れている。人類を繁栄させるための科学技術が人類の生存さえ脅かす存在となった。その典型的な存在が原子力だ。
 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナを支援する国に対して核ミサイルの使用をちらつかせる一方で、西側諸国との直接的な武力衝突は第三次世界大戦に発展しかねないとも警告している。「死の4人組」と呼ばれる中国やロシア、北朝鮮、イランの脅威がどこまで増大するか予測できない状況にある中、NATO(北大西洋条約機構)は、核を含むロシアの次なる侵攻に備えて準備を進めざるを得ないのだ。
 
核攻撃も想定するロシアのNATO侵攻
 2014年にロシアがクリミアを併合した際、プーチン大統領は「ロシアが主要な核保有国の1つであることを忘れるな」と西側を牽制した。この時は核戦力を「特別警戒態勢」に引き上げなかったものの、そうすることも考えたと後に明かしている。プーチンは、2018年には「潜在的な侵略者がロシアを攻撃していると確信した時にだけ核兵器を使用する」と明言した。ロシアは主要国と軍事衝突した場合を想定し初期段階で戦術核を使用する演習を行っており、「敵の大規模な侵略を阻止できない」、「ロシアの国家安全保障にとって危機的な状況が創出」という2つの要因が重なった場合、戦術核の使用を可能としていた。
 具体的には、核ミサイル原潜の20%、原潜の30%、3隻以上の巡洋艦、3つの飛行場、沿岸の司令部に対する同時攻撃などが例として示されていた。ロシアは通常戦力の不均衡を補うため相当数の戦術核を保有し、全域に配備する。短距離弾道ミサイル、大口径砲から発射できる核砲弾、核地雷、爆撃機で運搬できる精密誘導弾、核魚雷、核爆雷、巡航ミサイル、地対空ミサイルなどが配備されているものと推定される。
 ちなみにストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、核保有数はロシア5,580発(配備数1,710発)、米国5,044発(同1,770発)、中国500発(同24発)、フランス290発(同280発)、英国225発(同120発)、インド172発、パキスタン170発、イスラエル90発、北朝鮮50発だ。
 
ロシアに身構える英仏
 ジョン・ヒーリー英国防相は2025年6月2日、英下院において「欧州における戦争、増大するロシアの攻撃、新たな核リスク、国内における日常的なサイバー攻撃。敵対国はより緊密に連携し、テクノロジーは戦争のあり方を変えつつある。私たちは新たな脅威の時代を生きており、英国の国防も新たな時代を迎えている」と述べ、新たな戦略国防見直し(SDR)を発表した。新SDRによると、「将来の部隊編成は、ドローン、自律技術、人工知能(AI)を戦車や砲兵に組み合わせた近代的な陸軍の戦力が10倍になる。その構成は、有人車両がわずか2割で、残り8割のうち半分はドローンのように再利用可能な装備、もう半分がロケットや攻撃型ドローンのような使い捨ての装備となる。
 英海軍は、より強力ながら、より低予算で無駄のない艦隊を目指し、2隻の空母は英国だけでなく、欧州全体の航空機やドローンの基地に使われる。そして北大西洋の海の中では、無人潜水艇やセンサーがロシア軍の動きを監視する。米英豪(AUKUS)の安全保障協力を通じて攻撃型原潜を最大12隻まで増強し、2030年代末以降に現行の7隻と入れ替える。低出力の米戦術核兵器B61-12を搭載できるステルス多用途戦闘機F-35Aを調達する」とされる。
 また、これまで報復用の戦略(長距離)核しか有してこなかった英国が戦術(使用地域は欧州に限定)核を持ち、NATOのニュークリア・シェアリング(核共有)に参加するとしている。これは英国の核政策が歴史的な転換点を迎えたことを意味する。現在、英国は、報復攻撃を遂行できる能力として弾道ミサイル(トライデントD5)最大16基を装備するヴァンガード級原子力潜水艦4隻を配備している。
 一方、フランスのマクロン大統領は、自国の核の傘を欧州全域の他の加盟国すべてに広げることを協議する姿勢を示している。米国が欧州の舞台から手を引くと見られる中、フランスの核の盾は、少なくとも一部の同盟国を防衛するために拡大しつつある。
 
 今こそ、「メメント・モリ」という戒告が思い出させられる時代はないだろう。
 複数の専門家は、「プーチン大統領はウクライナの同盟国に対抗するための新たな兵器を開発しながら、それらの国々に恐怖感を与えることを目的としている。NATOの軍備増強に向けた動きは、ロシアの支配から逃れた国々を再征服し、ソビエト連邦を再建するというプーチン大統領の基本計画を断念させる効果がある」とみている。
 日本はどう対応するべきだろうか。日本もNATOに対し、ロシアの本格的な欧州侵攻を想定した積極的支援策を事前に協議しておかなければならないのではないか。そして日本は、「メメント・モリ」という戒告をロシア、中国、北朝鮮、イランに強く訴え、その軍事冒険主義を思いとどまらせるべきだ。
 
≪参考≫
【1】「ロシアの脅威に直面する英国…」、JBpress、2025年6月5日。
【2】「ロシアがNATO侵攻…」、BLOOMBERG、2025年6月26日。
【3】「ロシアは「5年以内」にNATOを…」、FORBES、2025年8月4日。