トランプ大統領と国連再考

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顧問・麗澤大学特別教授 古森義久

 米国のトランプ大統領が国連本部を訪れ、総会演説に臨んだ際、エスカレーターが突然止まるなど異常な「故障」が3件もばたばたと起きた。同大統領はこの出来事を「三重のサボタージュ(妨害)だ」と非難した。国連側はこの非難を否定する。この事件の背景には米国政権と国連との長年の衝突、さらには国連側の反米や反保守主義の偏向が影を広げる。今回の事件は国連信奉の過多な日本にとっても有益な教訓を含んでいるともいえそうだ。

 周知のようにトランプ大統領は9月23日、ニューヨークの国連本部を訪れた。その際にメラニア夫人とともに入口から2階へのエスカレーターに乗ろうとすると、突然、そのエスカレーターが止まってしまった。さらに総会議場でトランプ大統領が演説のために演壇に立つと、用意されているはずの草稿が映るテレプロンプターが機能していなかった。そしてトランプ大統領がいざ演説を始めると、その声を拡散するマイクロフォンが時折機能を止めた。

 こんな異常が3件も続いて起きたのだ。世界各国の首脳が集まる国連総会の場で米国の大統領だけがこんな事故に遭遇するとは、どう考えてもおかしい。現にイギリスのタイムズ紙は前日にトランプ大統領をけぎらいする国連事務局の職員の一部がこの種の「いたずら」を試みようと冗談半分にそんな計画を口にしていたと報道していた。

 トランプ大統領も総会演説のなかで、「国連は私に3件もの妨害工作を図ったようだ」と述べた。さらにホワイトハウスのレビット報道官は「この3件は米国大統領に対するサボタージュ(妨害工作)の疑いが濃く、即刻の捜査を求める」と言明した。

 国連事務局は当面の調査の結果として、エスカレーターは米国側代表団に随行したビデオカメラマンがトランプ夫妻より上にいて、誤って操作ボタンに触れて、止めてしまったようだ、とする事故説を発表した。きわめて説得力の弱い発表だった。

 米国側ではこの「事故」は国連側の意図的ないやがらせだとの見方が広範である。常識で考えても、こんな粗雑なミスがトランプ大統領一人に集中して偶然に起きるはずがない。

 国連側のトランプ大統領に対する最近の恨み辛みを考えれば、こんなサボタージュが起きても不思議はないとの認識がコンセンサスともいえるのだ。

 トランプ政権の国連に対する近年の言動をみよう。

 まずトランプ大統領自身が今回の演説で「私は7つの戦争を止めたが、国連はゼロだ」と述べたように、米国側では国連が国際的な紛争、戦争を止める力がないことへの見下す感じがある。この点はトランプ政権に限らず、歴代の米国政権に共通する。しかも国連は米国の行動に反対する諸国が数の上では多く、米側からすれば反米の国際機関ということになる。国連は米国が連帯を強調するイスラエルへの非難も強い。総会で絶対多数を占める開発途上国、とくに中東やアフリカ、中南米などの諸国が結束して超大国の米国の政策に反対することは国連のふつうの光景となってきた。

 トランプ政権は近年、国連機関の世界保健機構(WHO)から脱退した。文化の普及を任務とする国連教育科学文化機関(UNESCO)からも、人権問題を取り上げる国連人権理事会(UNHRC)からも離脱している。そのたびに加盟国全体でも最大額の拠出金、分担金を出してきた米国はそれら国連組織に提供する資金を打ち切ってきた。こんな事態は国連で恒常的に勤務する事務局の職員らにとっては自分たちの存在理由の否定にもつながる不当な強硬措置ということになる。

 こんな構図のそもそもの背景には国連の標榜するグローバリズムに対するトランプ政権の米国第一という思想からの根本的な批判が存在する。だから今後もトランプ政権の国連軽視、国連批判はさらに鮮烈になっていくだろう。

 国連という機関では主役はすべて主権国家であり、その多数の国家がみな自国の国益の推進に国際的な舞台で努める。その舞台が国連なのである。主権国家を支配するパワーを持つ超国家の国際機関ではないのだ。国連とはそもそもその程度の存在なのだと認識していれば、今回の国連とトランプ政権の摩擦も驚くに足りない。 

 ただし我が日本にはなお国連への過度の信奉が存在する。国連が万能の超国家パワーを持つ機関であるかのようにみる誤解がある。だが国連はそもそも第二次世界大戦でドイツ、イタリア、日本と戦い、勝利した連合諸国が創設した組織である。だから国連憲章にはいまもドイツや日本を見下すような敵国条項という規定が存在する。しかし戦争で負け、連合諸国に6年も占領された果てにやっと独立を回復した日本にとっては国連に入り、国連にすがり、国連の名声に頼って、国際社会に復帰することが至上の課題となった。その過程では国連の力を過大に拡大して、自らを慰める傾向があった。

 かつて日本の政治や外交で良識の代表のように扱われた東大教授の坂本義和氏が日本が自国の防衛組織を持たずに国連軍に駐留してもらうという政策を真面目に提案し、それなりの国内での同調を得たことは忘れられない。最近では小沢一郎氏が日本の外交のあり方について「国連中心主義」をこれまた真面目に主張した。日本の外交政策はとにかく国連の動きを見てそれに従えばよい、という主張だった。だが国連自体が明確な外交政策をとる能力に欠けるという現実を見ない主張でもあった。

 そもそも国際連合という日本語の名称も国連を実際の存在よりも強大で巨大に錯覚させる誤訳なのだ。国連の本来の名称は英語のUnited Nationsである。正確に訳せば「連合国」或いは「連合諸国」となる。主体は名前の上でもあくまで「国家」なのである。それを国際連合と訳すと、いかにも主権国家のそのまた上の超国家的なパワーのある組織を意味するかのようになる。この点は戦後の日本外務省の希望をこめた意図的な誤訳と呼んでもよいだろう。現に中国でも台湾でも国連を指して正式に「聯合国」と呼んでいる。

 日本の時には幻想とも言える国連への過度の信奉は東京の青山にある国際連合大学にも象徴されている。都心の一等地にあるこの14階建ての豪華なビルの施設は日本政府が乗り気ではない国連側を必死で説得する形で誘致して、開設した結果だった。そのための当面の必要資金はすべて日本が負担することを前提にしていた。だがこの国連大学は教授も学生も講義もない。国連側の一部の研究者が時折来訪して使っているだけなのだ。日本にとっての利益は浮かんで来ない。国連側ではこの施設を研究所と見做している。だが日本側で勝手に大学と呼んでいるのだ。

 国連が日本に対して「特別報告者」と称する奇妙な人物たちを送りこみ、日本の政策や習慣に文句をつけてきた記録も忘れてはならない。

 2024年には国連人権理事会の委員会が日本政府に対して皇室典範を変えるよう求めてきた。現行の典範が男系の継承を決めているのは女性への差別だというのだ。

 もっと古くは1996年にクマラスワミというスリランカ出身の国連特別報告者が日本の慰安婦問題について虚偽の証言にまで立脚して、「日本政府による集団的な女性の強制連行があった」と断じた実例がある。その他にも「日本には報道の自由がない」とか「日本の女子高校生の13%が援助交際をしている」と決めつけた国連特別報告者たちの「調査」もあった。日本について知識も体験もない、これら国連特別報告者たちの多くが日本での活動には前述の国連大学を利用していた。

 日本にとっての国連のこうしたマイナス面もこの際、改めて銘記しておくべきである。その意味ではトランプ大統領の国連本部での「事故」も前向きな効果があったとも言えるだろう。