注目すべきベトナム人の理系才能

.

顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 今月、ブラジルで「国際数学オリンピック」というイベントが開催され、その結果が先日発表された。ベトナムから参加した6人の高校生は、金メダル4個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得。全参加国中で第3位の好成績を収めたとのことで、現地で大きく報道されている。ベトナムが第3位にランクされたのは、1999年及び2007年に続いて3回目だそうである。このイベントは1959年に第1回大会が開催され、今年が58回目という長い伝統を有する。今年の大会には世界111ヵ国から高校生を中心に615人が参加しており、いずれも過去最多数を記録。日本は1990年から参加し、過去最高のランクは2009年の第2位、今年は金、銀、銅のメダルが各々2個で、国別で第6位に入っている。
 実は、こうした教科別の国際オリンピックなるイベントは、数学だけではなく、物理や化学などの理系科目や歴史・哲学といった文系科目でも開催されているが、ベトナムについて注目されるのは理系科目での好成績である。今年に限れば、ベトナムの高校生は、物理で国別第6位、化学で第2位といずれの科目でも日本を上回る好成績を収めている。私が注目するのは、日本の代表として参加する高校生の多くが、開成、灘、筑駒といった特定のいわゆる「超難関校」の生徒に限られる傾向が見られるのに対して、ベトナムの場合はハノイやホーチミン市などの有名進学校に限定されることなく、全国各地の高校から代表が選ばれていることである。ベトナムでも大学への受験競争は年々激しくなっているが、優れた高校が全国に散らばっており、成績優秀な若者が特定の進学校に集中する度合いが日本よりも低いように思われる。大学受験の科目数も日本より少ない。日本では東大や京大などの国立大学を受験する場合は6科目の試験に備える必要があるが、ベトナムでは3~4課目で済むので、特定課目に秀でた生徒は高校時代を通じてそうした課目に関心を集中させることが可能である。また、中国もそうだが、大学において理系よりも文系が選好されるという風潮はなく、そのため「理系の才能があるのに、文系を受験する」という現象もあまり見られない。
 ベトナムの高校生がこれらの国際オリンピックで好成績を収めている背景には以上に述べたことの他にもいろいろな事情が絡んでいると思われるが、私は、ベトナム人は基本的に理系才能に秀でているのだと思っている。私がベトナムに在勤していた当時から、ベトナムの若者を多く採用している日系企業の関係者から「ベトナム人は計算が早い」、「ベトナム人は図形処理が上手い」といった話をよく聞かされた。今では、コンピューター・ソフト開発などのアウト・ソーシング分野でベトナムは国際的な存在感を増しており、FPT社(チュオン・ザ―・ビン社長)などはIT人材の宝庫と言われている。同社のお世話になっている日本企業も多い。数学のノーベル賞と言われるフィリーズ賞を受賞したベトナム人数学者もいる。こうしたベトナム人の理系才能は今後国際ビジネスの分野でますます注目されていくに違いない。
 ところで、これらの科目別国際オリンピックで、ヨーロッパの高校生の成績が今一つ振るわないのは何故だろうか。今年の数学オリンピックの結果で見ると、英国の第9位が最高で、ドイツが第33位、フランスは何と第39位である。しかし、これらの国は物理や化学の分野で数々のノーベル賞を受賞しており、優れた研究者を多くかかえている。他方、中国や韓国は理系科目オリンピックのトップ5常連国だが、(2015年に生理学・医学賞を受賞した中国人女性を除くと)ノーベル賞の受賞者はいない。この理由として大学教育のあり方に問題があるという指摘は多い。確かにそういう面はあるかも知れない。ただ、私は、11年以上をヨーロッパで過ごした経験から、中学や高校レベルにおける理系教育の内容に大きな違いがあるように思えてならない。つまり、受験競争の激しいアジアでは、大学の入学試験に合格することを至上命題として、「出された問題を解く(正解を出す)」ことに重きが置かれているが、ヨーロッパでは「(正解がないか、1つとは限らない)問題を考える」あるいは「問題そのものを考え出す」ような教育を多く取り入れている。言い方を変えれば、将来の伸びしろを極大化するような成長投資型の教育をしているのではないか。アジア諸国はせっかく優秀な理系人材(金の卵)を多く有しているのであるから、(理系科目オリンピックの成績に一喜一憂することなく)彼らの将来を見据え、長いスパンでの能力開発・人材育成も考えるべきかと思われる。