国連が見た「不幸な日本人」

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 先月、国連が「世界幸福度ランキング2018」なる報告書を発表した。この報告書によると、日本は調査対象となった156ヵ国の中で54位、先進国の中ではほぼ最低クラスで、日本以下はポルトガルとギリシャのみである。その一方でブラジルやメキシコといった中南米の国々は軒並み50位以内に入っており、「幸福な人々」ということになっている。私の個人的実感からすると、何とも不思議な調査結果である。
 そもそもこの国連調査は何を根拠に各国の幸福度を比較しているかというと、国民一人当たりGDP(但し購買力平価ベース)、健康寿命、社会支援、自由(職業選択、行動)、信頼(腐敗・汚職)、寛大さの6項目が柱になっており、このうち、社会支援は「困ったときに頼れる親類縁者・友人はいるか?」というギャラップ社による世論調査の結果を使用しており、寛大さは「過去1ヵ月の間に何らかの寄付行為をしたか?」という問いに対する答えを元に判断している。
 問題は、これらの調査項目に加えて「ディストピア(地獄郷)」というアンケート調査の結果が加味されており、しかも、全体評価の中でこの項目が占めるウェイトが高いことである。このアンケートは何かというと、同じギャラップ社が各国で個々人に「あなたは今幸せですか?」、「昨日、笑うことはありましたか?」、「昨日、楽しいと思ったことはありますか?」といった質問をし、その結果をプラス要因として評価し、他方で「昨日一日で懸念(悲しみ、怒り)の感情を持つことはありましたか?」という各問いの結果はそれぞれマイナス要因として評価している。更に、「残差」としてジニ係数(所得格差)などのデータをこれに追加している。
 私は過去の職業経験から在勤した6ヵ国を含めて世界のほぼすべての国を訪れているが、日本人の幸福度が先進国の中で最低クラスだという実感はないし、いわんやニカラグアやエルサルバドルといった中米の国々より不幸な生活をしているとは全く思えない。四季折々の季節感や食生活の豊かさ、公共交通機関によるサービスの質の高さなどは世界一だと確信しているし、これらが私個人の幸福感の重要な一部になっている。しかし、国連の調査ではこれらの要素は直接的に勘案されることはなく、これが国連の調査結果に違和感を持つ理由にもなっている。
 そもそも、人間の幸福感を国際比較することに無理がある。国民性や個人によって幸福感には大きな差異があるし、こうした「心のありよう」を一定の指標によって判断することにも限界がある。先述したアンケート調査にしても、答えの内容を各国一律に比較する手法には疑問なしとしない。
 ただ、こうした調査が全く無意味かというと、そうとも言い切れない。特に、社会支援や寛大さといった項目はこれからの社会のあり方を考える上で示唆に富む要素を含んでいる。困ったときに頼れる人がいるかどうかや他者支援のために寄付を行っているかどうかは社会連帯の状況を分析する上で大いに参考になる。現代の日本社会では昔のような「助け合いの精神」が相対的に希薄になりつつあるのではないかと指摘されている。これから本格的な少子高齢化社会を迎えるにあたって、「助け合う社会」を構築することは国のあり方の根幹にかかわることのように思われる。
 なお、最後に、世界で54位という日本人の幸福度について一言追加したい。それは国連が各国比較の基準とした評価6項目だけに限れば、日本のランクは間違いなく世界のトップ10に入る評価を得られている(国連報告書の20-22ページ参照)ことである。これを逆に言うと、日本の総合評価が低いのは先述した「ディストピア」+「残差」という最後の評価項目で著しく点数が低いことが主要因になっている。「あなたは今幸せですか?」と聞かれて何と答えるか。中南米諸国をはじめ諸外国では「はい」と答える人が結構多いが、日本人はそうではないのではないか。こうした国民性(悲観主義傾向)が「世界54位」という評価結果をもたらしている一因かも知れない。