中国を封じ込める太平洋の盾
「クアッド構想」

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政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷昌敏

はじめに
 1930年代、日本に対する経済制裁もしくは経済封鎖の目的で、ABCD包囲網(ABCD encirclement)が形成された。「ABCD」とは、貿易制限を行っていた米国(America)、英国(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の各国の頭文字を並べたものである。当時、米国は、孤立主義の立場から、国際連盟に加盟していなかったが、米国の孤立主義が変わるのは、フランクリン・ルーズベルトが第32代アメリカ合衆国大統領になってからである。ルーズベルトは、1937年7月に盧溝橋事件が発生すると、対日経済制裁の可能性について検討するよう部下に命じ、1937年10月5日には「世界の9割の人々の平和と自由、そして安全が、すべての国際的な秩序と法を破壊しようとしている残り一割の人々によって脅かされようとしている。不幸にも世界に無秩序という疫病が広がっているようである。身体を蝕む疫病が広がりだした場合、共同体は、疫病の流行から共同体の健康を守るために病人を隔離することを認めている」とする隔離演説を行い、日本をはじめとする枢軸諸国への対応を訴えた1。それでも当初は、米国における対日経済圧力は、孤立主義の影響もあって消極的なものであったが、1941年7月の日本による仏印進駐によって日米対立は決定的なものとなり、同年7月から8月にかけて、対日資産凍結と石油の全面禁輸措置が行われた。これによって、ABCD包囲網は完成し、その後、太平洋戦争(大東亜戦争)に突入していったのである。
 そして第二次世界大戦が終結して約75年後の現在、ABCD包囲網の一員だった中国が米国の新たな挑戦者として台頭した。その中国に対して、今、新たな包囲網が生まれようとしている。その構想を「クアッド構想」という。元々は、「セキュリティダイヤモンド構想」といい、日本の安倍晋三首相(当時)が2012年に国際NPO団体PROJECT SYNDICATEに発表した英語論文“Asiaʼs Democratic Security Diamond”に書かれた外交安全保障構想である2。米国(ハワイ)、日本、オーストラリア、インドをダイヤモンド形に結ぶことで、太平洋からインド洋にわたる広大な海域の貿易ルートの保護と同海域諸国の相互安全保障のために構想された。特にその目的は、中国の圧力に対抗する尖閣諸島領有権やシーレーンの安全確保と中国の南シナ海進出を抑止することにある。その中核となるのは、日米安全保障体制(日米同盟)であり、米国では、対アジア戦略の一環として「インド太平洋構想」(Indo-Pacific economic vision)として採用された。