コロナワクチン再考

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日本近現代史研究家 渡辺惣樹

 筆者は、本誌(Vol.86)に、「コロナ後を考えるのはまだ早い」と題する論考を発表した。先の米大統領選挙前のことであり、コロナ問題については選挙後に再度論考を発表すべきであろうと考えていた。編集部よりスペースをいただいたので、新たに明らかになった諸情報をベースに「その後のコロナ問題」を深堀したい。
 
政府は嘘をつき情報を隠すこともある
 近現代史の研究者にとって、政府が嘘をついたり情報を隠したりすることは常識的知識である。
 先の大戦前にフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(FDR)は、戦争に巻き込まれることを嫌う80%以上の国民にドイツの恐怖を煽りに煽った。その典型が1941年10月27日に行ったスピーチである。真珠湾攻撃の一月半前のことである。この日FDRは、記者を前にしてある地図(資料1)を示し、ドイツが南米侵攻を計画していると訴えた。
 ドイツスパイから押収したとしてFDRが示した地図はドイツ語で印刷されたもので、丁寧にドイツ語の手書きメモまで書き込まれていた。この偽地図を提供したのは英国のスパイマスターであったウィリアム・スチーブンソンだった。スチーブンソンが、FBI(エドガー・フーバー長官)と協力し、米国民に対するプロパガンダ活動(対独戦争参戦容認工作)を続けていたことや、スチーブンソンがイアン・フレミングの小説007のモデルになったことは、本誌(Vol.84)に書いた。ベルリン陥落後、米陸軍はヒトラーによる南米侵攻計画を示す書類を探したが、見つかるはずもなかった。
 この事件は80年も前のことであるが、同様なことは米軍のイラク侵攻前にも起きた。2003年2月5日、コリン・パウエル国務長官は、国連安全保障理事会の場で、「サダム・フセインは大量破壊兵器(核兵器)或いは生物化学兵器を保有している」と説明し、イラクのレジームチェンジが必要なことを訴えた(対イラク戦争の正当化)。この演説から一月半経った3月20日、米軍はイラクに侵攻し、バクダードを占領した。この時も米陸軍は懸命に大量破壊兵器を探したが見つけることはできなかった。
 情報を隠した典型例は、FDR政権がハルノート(疑似対日最後通牒)を日本に手交(1941年11月26日ワシントン時間)したことを議会にも国民にも告げなかったケースである。真珠湾攻撃の翌日、FDRは対日宣戦布告を促す議会演説に臨んだが、彼はハルノートに一言も触れなかった。その一方で、真珠湾攻撃直前に昭和天皇へ和平を願う親電を打っていたことだけは説明し、真珠湾攻撃時にも日米交渉は継続していたと国民を誤解させた。