イスラエル・ハマス戦争
―「二国家共存」という見果てぬ夢―

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 ガザは平穏だった。私がこの地を訪れたのは1998 年の夏、本物の中東和平実現が目前に迫る最中だった。地中海の青い海に面したパレスチナ難民キャンプでは子供たちが海水浴に興じていた。陽光が眩しかった。
 イスラエルのイツハク・ラビン首相とパレスチナのアラファト議長との間でイスラエルの国家承認とパレスチナ自治政府の樹立などに関する「オスロ合意」が結ばれたのは1993 年、調印式の壇上には合意成立の最大の功労者と言われたイスラエルのシモン・ペレス外相が満面に笑みを湛えて陪席していた。この3 人は翌1994 年に揃ってノーベル平和賞を共同受賞した。この和平合意を仲介した米国のビル・クリントン大統領にとっても絶頂期だったろう。今から振り返ると「古き良き時代」だったと言うしかない。
 「オスロ合意」はあくまでも暫定合意であり本格的な和平交渉はその後の5 年間にまとめられる必要があった。私は当時エジプト・カイロの日本大使館に公使として勤務しており、1998 年は5 年間の交渉期限の最終年だったことからガザの状況を見ておきたいと思い、パレスチナ暫定統治機構(PLO)が統治するヨルダン川西岸地区などとともに一連の視察日程を組んだのである。確かにガザの風景は平和そうに見えたが、和平交渉の方は順調には進まず既に暗雲が立ちこみ始めていた。
 私はその後2010~12 年に外務本省でイラク復興支援の調整役を担い、再び中東地域に足を踏み入れることになった。イラク戦争の後で、中東情勢は10 年前とは全く異なる様相を呈していた。イラクの首都バグダッドや南部バスラの街はイランの後押しを受けたシーア派武装組織のテロ攻撃の危険があるため、現地滞在中は防弾チョッキを着用して防弾車で移動、常に武装した4 人の屈強なボディガードによる警護を受けた。その後も状況は改善するどころか悪化の一途を辿っている。
 今、中東地域ではイスラエル・ハマス戦闘の激化と周辺諸国への影響拡大で地域全体が騒然としている。何故、この地域では紛争が収まらないのか。その背景は何なのか。そしてアジアを含む世界にどのような影響を及ぼしつつあるのか。本稿ではそうした諸問題に思いを巡らせてみたい。
 
ユダヤ人vs パレスチナ人の相克
 預言者モーゼが60 万人のヘブライ人(ユダヤ人)を引き連れてエジプトを脱出したのは紀元前13 世紀(プトレマイオス朝ラムセス2 世の時代)のことらしい。