日英の「歴史の棘」を抜く
―元英国兵士の和解の旅に同行して―

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研究員 橋本量則

はじめに
 昨年10 月、97 歳になる英国人男性リチャード・デイ氏が来日した。第二次世界大戦中、彼は18 歳で英陸軍に招集され、インパールで日本軍と戦った元英軍兵士である。その訪日の目的は、かつての敵との和解と慰霊であった。これを企画したのは英国に拠点を置く日英の元軍人や遺族、或いは研究者からなる団体「ビルマ作戦協会(The Burma Campaign Society以下BCS)」だ。筆者は英国留学中に同団体に加わり、今回のデイ氏訪日に際しては、受け入れ側の一員として準備に当たった。また、デイ氏滞在中は、東京、横浜、京都に同行した。
 この訪日はNHK や新聞で報道され、世間の注目を多少集めたこともあり、本稿では、この元英国兵士による和解と慰霊の旅について報告すると共に、その意義についても述べておきたい。
 
なぜ今、日英の和解なのか
 近年の日英関係は、おそらく日英同盟解消後、最も良好だと言ってよく、「準同盟」関係とも言われる。実際、我が国の自衛隊と英国軍の間で共同訓練が実施され、円滑化協定も結ばれている。日英両国は海洋国家同士であり、このような良好な関係は大いに結構なことである。
 だが、事はそれほど単純ではない。英国民の一部には未だ根強い反日感情が存在しているからだ。それは第二次大戦当時の英国の対日認識が、戦時プロパガンダや誤解も含めて、そのまま残っているからである。英国人は日本が戦時中に行ったと彼らが考えている「蛮行」について、日本から未だ納得のいく説明はないと思っている。一方、戦後の日本人は先の大戦について日本の言い分を語ることを避けてきた。たとえ英国人の側に誤解があろうと、それを正そうとはして来なかった。つまり、日英は事歴史の問題に関しては、「棘」を残したまま、80 年近くを過ごしてきたことになる。
 先の大戦において英国は、日本軍によって東南アジアから追い払われ、数万の捕虜を出し、遂には大英帝国をも失った。特に、約6 万人の連合軍捕虜が泰緬鉄道の建設工事に駆り出され、食糧や医薬品の不足、不衛生な住環境、厳しい労働環境、疫病の蔓延などの理由で1 万2千人が死亡したことにより、戦後、英国の対日イメージは「捕虜を奴隷の如く酷使し、その命を何とも思わない野蛮人」というものから出発することとなった。