「戦争責任」の語の初出をもとめて―戦後80年に「戦争責任」を考える―その1

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国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

あれから20年、そして戦後80年
 第二次世界大戦終結から60年という節目の2005(平成17)年、在野の歴史家保阪正康は戦争を実体験として知る世代の高齢化に思いを馳せつつ、この平成17年こそ「(あの戦争を考える)最後のチャンスではないかと思う」(保阪『あの戦争は何だったのか』)と書いた。おそらく多くの人が共有する意識だったためであろう、新聞、論壇誌、そしてテレビでは、例年以上に大東亜戦争と呼称された先の大戦を取り上げる特集企画が目を引いたように記憶する。NHKの番組で「私は、東京裁判を前提として『A級戦犯』と言うよりも、日本を戦争に導いた最高の責任を持った指導者たち、の意味で使っている」という具合に「A級戦犯」の本義―「平和に対する罪」で極東国際軍事裁判(東京裁判)に訴追された日本人被告―を無視するかの如き発言を口にした乱雑な論者(子安宣邦・阪大名誉教授)もいたが、総じて読む者観る者を啓蒙する企画であったと顧みて思う。