1944年「流血の夏」における日本陸軍の諜報活動

.

主任研究員 増永真悟

 第二次世界大戦下の1944年夏はフィンランド語で「流血の夏」(Verinen kesä)と呼ばれる。フィンランドは3年前の41年6月、軍事同盟を結ばずにナチス・ドイツに協力する「共戦国」として前年までの冬戦争の結果、ソ連に不当に奪われた領土を奪還する為にソ連へ侵攻した。フィンランド軍が旧領奪還を果たした後、戦線は3 年余に亘って膠着。そして44年6月6日に始まった米英等連合国軍のノルマンディー上陸作戦に呼応し、4日後の10日にはソ連軍がフィンランド方面で反攻に転じた。3年に亘るドイツとの死闘で地上最大最強の陸軍に成長したソ連軍は約45万人の大兵力を投じてカレリア地峡を突破し同国を無条件降伏させるべく進撃を開始した。一方、同地峡を守るフィンランド軍はたったの約75,000人、ここにフィンランドの命運は尽きたかのように思われた。