占領下日本での「戦争責任」論
―戦後80年に「戦争責任」を考える―
その2

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国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

なぜ「戦争責任」は定義し難いのか
 「戦争犯罪人捕縛問題は戦争責任問題とは裏と表の関係にあることは改めていふまでもない」―戦後日本で「戦争責任」の語の初出と思われる『朝日新聞』の当該記事( 9月18日号)を前稿で紹介・検証した。この記事は耳目を引く語として「戦争責任」の語を持ち出してはみたもののその内実に深く踏み込んで論じることはなく、その論調もいつしか「戦争犯罪」と「戦争責任」とを混同している印象を与えるものとなっていた。今回はこの『朝日新聞』記事と同時代、即ち、占領初期の日本での「戦争責任」をめぐる様々な言説を探ってみることとしたい。
 稿を進める前に、現在までの「戦争責任」論議に関わる看過できないことを確認しておく。「戦争責任」の語を用いる際、「戦争犯罪」との混同の他、論者によってこの語の理解や前提が異なることが多いという点である。そのため「戦争責任」をめぐる議論が噛み合わない事態が往々にして生じてきた。「戦争責任」が多種多様であることについては、以下に引く家永三郎の指摘が参考になろう。