日英関係の棘「泰緬鉄道」―英国のナラティブはいかに作られたか―

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研究員 橋本量則

はじめに
 現在、日英関係は戦後最も良好な「準同盟」関係にある。だが、戦後しばらくは激しい反日感情が残っていたこと、そして、戦後50年の1995年にはそれが再燃し、数年間は収まらなかったことは記憶に留めておくべきであろう。英国民が戦後このような反日感情を抱いた要因の1つに、戦時中に日本軍の捕虜となった英軍人たちの悲惨な経験がある。中でも泰緬鉄道建設に従事させられた捕虜たちの恨みは凄まじかった。
 泰緬鉄道とは、1942年6月から1943年10月にかけて日本軍がタイとビルマの間に建設した鉄道で、その目的はビルマ方面への輸送ルートの確保であった。しかし、そのルートは未開のジャングルを切り拓くもので、建設は困難を極めた。雨季の交通途絶による食料・医薬品の欠乏、そして熱帯のジャングル特有の風土病が関係者全員を苦しめた。
 この鉄道建設には、1942年10月から英国・豪州・オランダの捕虜約6万人が動員され、そのうちの1万2千人が死亡した。戦後、これが英メディアによって「死の鉄道」としてセンセーショナルに報道され、英国世論の反日感情に火がついてしまったのである。