「ポツダム宣言」発出時どういう裁きを予期したか
本連載初回(『季報105号』)に記したように、未曾有の敗戦を喫した占領下日本においておそらく「戦争責任」の語の初出、1945( 昭和20) 年9月18日の『朝日新聞』記事「戦争責任と国民の態度/軍部右翼を処分/封建勢力の存続許すな」であった。当該記事には「戦争犯罪人捕縛問題は戦争責任と裏と表の関係にあること改めていふまでもない」とあり、「戦争責任」の具体的内容を問うことはなく戦争犯罪人は戦争責任を負う、という論調を示すにとどまった。以後の日本での「戦争責任」論議の特徴として、「戦争責任」の語の内実をさほど検討せずに甲論乙駁ふうに議論が進んできたことも既に見た通りである。連載を終えるにあたり今回は、「戦争責任」と密接に関わりあう「戦争犯罪」に戦後日本が向きあう際何を念頭に置いてきたか、何に影響を受けて-意識的に或いは無意識のうちに-きたかを概観し、爾後に向けて少しでも生産的な議論を生むための一助としたい。
1945年7月26日に米英中3ヵ国首脳の名で出された対日降伏勧告文書「ポツダム宣言」の第10項には「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」の字句があった。戦時国際法が定める「戦争犯罪」の具体例には、毒ガスなどの化学兵器の使用、戦闘員ではない一般住民の殺傷、投降して捕虜となった敵兵の虐待、軍事施設と無縁の住宅地への攻撃等があった。