平和主義を貫いて滅亡した宋王朝の末路と現代中国

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顧問・アジア文化フォーラム理事長 坂場三男

 NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟』がいよいよ佳境に入りつつある。秀吉・秀長兄弟の関係は結構微妙だが、秀長なくして秀吉の天下も実現しなかったであろうし、弟に先立たれることで豊臣の長期政権への夢もまた潰えた感がある。
 我が国における東洋史研究の大家であった宮崎市定氏(元京都大学教授)が面白いことを指摘している。戦国末期を経て徳川泰平の世に至る信長・秀吉・家康の三代は中国史において五代十国の動乱期(907~960)を終焉させ北宋による長い平和と安定の時代を招来させた柴栄(さいえい)・匡胤(きょういん)・匡義(きょうぎ)の英傑三代の時代に酷似しているという。柴栄とは五代最後の王朝・後周の皇帝世宗のことであり、匡胤・匡義は宋を建国した初代皇帝・太祖、第二代皇帝・太宗の趙兄弟のことである。趙匡胤は五代最高の名君と言われた柴栄の下で軍人として出世し、柴栄の急死後に就任した幼帝から禅譲を受ける形で新王朝を開いた人物である。しかし彼の在位17年間は建国途上で終わり弟の趙匡義が実質的に宋王朝の屋台骨を築いたと評価されている。豊臣兄弟は弟が先死することで政権の継承は実現しなかったが、趙兄弟は見事に帝位を引き継ぎ、北宋(960~1127)と南宋(1127~1276)を合わせて何と316年間という超長期王朝の端緒を開いたのである。